貫いた道 立ち止まらない私の人生

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 読売新聞朝刊教育面の第2、第5水曜日で「ニュースde道徳」を掲載しています。8月29日の朝刊では、落語家・桂歌丸さん(7月2日死去)の生涯現役を貫いた生き方を取りあげています。「よりよく生きる喜び」がテーマです。

 このテーマの関連では、以下のようなニュースもありました。

山を愛し、頂に挑んだ女性

故郷・福島県の山で観光客を案内する田部井さん(2016年4月撮影)
故郷・福島県の山で観光客を案内する田部井さん(2016年4月撮影)

 田部井淳子さん(2016年10月死去)は、国内の女性登山家の草分け的存在でした。1969年に女性だけの山岳会「女子登攀(とうはん)クラブ」を設立し、海外の名峰にも足を延ばしました。

 72年に32歳で長女を出産した後、女性としては世界で初めて世界最高峰エベレストの頂に立つ偉業を成し遂げました。家庭では、主婦として料理や掃除をこなす一方、10年先までの登山計画を綿密に練り上げました。長男を出産した翌年の79年にはフランス最高峰のモンブランに登りました。

 2012年3月、がんと診断され、「余命3か月」と宣告されましたが、治療を受けながらバングラデシュ、英国など各国の山に挑み、76歳で76か国の最高峰を制覇しました。夫の政伸さんは「全身で山を愛した。珍しい植物を探したり、人と触れ合ったり。山では病気のことも忘れていたのでしょう」と振り返っています。

 東日本大震災後、被災地の高校生と富士登山を始めました。16年7月、高校生93人と一緒に富士山を登ったのが、最後の登山になりました。

激闘2666日、町にささげた命

避難者との懇談会で発言する馬場さん(2011年7月撮影)
避難者との懇談会で発言する馬場さん(2011年7月撮影)

 馬場有さん(2018年6月死去)は東京電力福島第一原発の事故で、全町避難の続いた福島県浪江町の町長として、亡くなる2週間前まで被災者支援と町の復興に奔走しました。

 町議会議員、県議会議員を経て2007年の町長選で初当選。過疎化と高齢化という山村が抱える課題に取り組む町長の姿を変えたのは、11年3月11日の東日本大震災でした。

 政府の避難指示を受け、全住民を避難させるバスを準備し、約50キロ離れた福島県二本松市へ役場も移しました。避難後も仮役場に寝泊まりしながら、避難者支援に駆け回りました。14年春に胃がんと診断されましたが、15年秋の町長選に出馬し、避難指示解除に向けた動きが本格化する3期目に入りました。

 17年2月の町議会全員協議会では、「帰れる人から町へ帰り、先駆者となって道を切り開く。『町残し』のため、解除を受け入れる」と宣言。昨年3月末、避難指示の一部が解除されました。ただ、事故前に約2万1000人いた町民も、今年6月末現在の町内居住者は777人に過ぎません。

 昨年末からは入退院を繰り返し、体調が回復しないまま今年6月、町長の辞職願を提出しました。告別式では町の行政区長会長が、「『町残し』のために命を削ってきた」と悼みました。町長室には、原発事故からの日数を書き込んだカレンダーが残されています。原発事故から町を残すために奮闘した町長が亡くなった6月27日には「2666」とありました。

38123 0 教育 2018/08/29 05:20:00 2018/08/29 05:20:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180824-OYT8I50043-T.jpg?type=thumbnail

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