アナウンサーへの夢、膨らんだ中3の講演会…本庄東

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2014年度卒業

日本テレビ アナウンサー
杉原 凜さん(22)

Q1.母校の思い出は?

 埼玉県本庄市の出身です。小学3年生の時、親から市内に私立の中高一貫校ができると聞いて、中学受験を意識し始めました。母校の本庄東高等学校附属中学校(本庄東)です。高校はそれ以前からありましたが、中学が新設されることになったのです。小学4年から塾に通い始めました。いくつか志望校がある中で、第1志望は本庄東でした。校舎も新しく魅力的に思えたからです。4期生として入学しました。

 「先生との距離が近い学校」という印象が今でも残っています。「朝面談」という制度があって、私生活や勉強の悩みを担任の先生に相談しやすかったです。中学では副担任が若い女性の先生で、悩みも相談しやすかったですね。

 担任の先生は中高6年間、同じ先生でした。12歳から18歳までの私を見てくださった太幡(たばた)俊也先生です。本庄東では、成績順にクラス分けされ、同じクラスを同じ先生が受け持ちます。私はたまたま6年間、1組でした。クラスの底辺でしたが(笑)。

 国語が担当の太幡先生は熱血漢で、授業中に不安そうな表情を見せると「どうした?」と声をかけてくださりました。そうして生徒に寄り添ってくれるときもあれば、「今が(勉強の)頑張り時」だと言って、お尻をたたいてくれることもありました。卒業してからも連絡をさせていただいています。本庄に帰省したときも、学校に顔を出しています。

Q2.勉強での思い出は?

 中学から毎日、小テストがありました。おかげで自然と机に向かう習慣ができ、英単語や数学の公式が無理なく身に付きました。中学の部活動はバドミントン部で部長もやりましたが、高校では勉強に打ち込みました。放課後も学校に残り、模試に向けて頑張っていました。

 教科の中で徐々に英語に興味を持ち始め、大学は英語を学べる津田塾大学に進みました。津田塾を視野に入れ始めたのは高2の終わりごろからです。英作文を先生に見ていただきながら、英単語は毎日欠かさず勉強していました。

 でも、勉強ばかりしていると飽きてしまうので、時々食堂に行って、友達としゃべっていました。そういう息抜きの時間もありました。

Q3.母校を目指そうとする受験生へ

 中学ではチェックノートというものを頂き、毎日、放課後や帰宅してからの学習目標を書いていました。翌日、何時から何時まで何を勉強したかを書いて担任の先生に提出すると、コメントを書いて返してくださります。先生が読むのは週末で、面談もありました。「今週はこういう生活ができたね」「来週はこうしてみたら?」など、アドバイスを頂きました。

 こうして勉強の習慣を作っていただきました。勉強だけでなく、マナーや礼儀、生活習慣についても教えてもらいました。締め切りぎりぎりでなく目標に向かって少しずつ進めるという習慣、それに礼儀が身に付いたことが、アナウンサーになった今、生きています。受験生にはお薦めできる母校のよさです。

 また、講演会が多いのも魅力です。中学、高校ともに1年間に何回も開催されます。中学3年の時に、日本テレビの上重聡アナウンサーの講演を聴いたことがありました。アナウンサーになりたいと思ったのは小学5年のころでしたが、上重アナウンサーからアナウンサーの役割や魅力を聞き、改めて「アナウンサーを目指そう!」と強く感じました。 

 (聞き手:林 宗治、写真:読売新聞東京本社メディア局・青木久雄)

 本庄東高等学校附属中学校について、さらに詳しく知りたい方はこちら

無断転載禁止
717630 0 卒業生だよ 2019/07/31 15:00:00 2019/08/01 11:16:39 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/07/20190731-OYT8I50024-T.jpg?type=thumbnail

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