【特集】鳥の剥製が伝える「個性重視の教育」…市川
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正面玄関を一歩中に入ると、広々としたエントランス。コミュニティプラザと呼ばれる空間の真ん中には、芭蕉の句が書かれた大きな柱と学園の創設者、
<よくみれば なづな花咲く 垣根かな 芭蕉>
「古賀先生は、いつもこの句を引いて、学園の教育理念である『個性重視の教育』を語りました」と話してくれたのは、市川学園の卒業生でもある国語科教諭の高森俊弥さん。
30平方メートルの部屋の中に150羽のはく製がずらり
明るい日差しが差し込む吹き抜けの階段を登る。2階にあがってすぐ正面にこじんまりとした部屋があった。高森さんの案内で広さ約30平方メートルの部屋に入ると、大きなガラスケースがずらりと並んでいた。飾られている150羽の鳥のはく製は、いずれも70年以上も前に、この学校にやってきたものだという。
「はく製室のある中学校や高校は、全国でもうちの学校だけだと思います。この部屋はいつも開けていますから、みんな必ず入ってきますね」。
鳥のはく製標本は、1939年(昭和14年)に、財団法人山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)の創設者で、昭和天皇の従兄にあたる侯爵の
学園創設者と鳥類研究家の友情が生んだ贈り物


学園創設の数年前、欧米の教育現場の視察から帰ったばかりの古賀は、山階の英語のアドバイザーとして足しげく侯爵邸に通った。「イギリスのパブリックスクールのような学校を作りたい」と意志を固めた40歳代の古賀と、軍隊を辞して鳥類の研究に没頭する30歳代の山階は、ともに高い理想を掲げた9歳違いの師弟だった。後年、古賀はこう記している。
――私はかつて鳥の学者に、英語で書かれた鳥の本を教えたことがある。この場合教えたというとうそになる。鳥のことを全然知らない英語教師と英語のあまりできない鳥の研究家とが、しばらく対話をしていると、解決をしてくれるのは、いつも鳥の研究家の方であった。(昭和42年6月「読む、考える、記録する」市川学園図書館報)
古賀が夢をかなえて学園を創設した時、山階は自分がもっとも大切にする鳥のはく製のなかから150羽を贈った。
本物の鳥を間近でじっくりと見られる環境

由緒あるはく製標本は、数年に一度、専門的なクリーニングを受けて、いつもガラスケースに収められている。ホコリと湿度は大敵。陳列ケースの中には除湿剤も欠かさない。こうした配慮もあって、70年以上経った今も、ベニスズメは赤い色を、ビロードキンクロはつやのある黒ぐろとした毛並みを見せている。
「古いはく製ですし、生徒が触ることはありません。中学校の理科で鳥類の授業になると、近くの調整池に行ってますね。普段は水がほとんどなくて、鳥がよくやってくるんです。でも、鳥のスケッチが課題になったときは、この部屋の鳥を参考にする生徒もいるようですよ」。高森さんは笑みを浮かべた。
ガラス越しとはいえ、これほど間近で本物の鳥をじっくり見られる場所は、ほかのどこにもなさそうだ。
卒業生のなかには、生物科教諭として学園に勤め、「いちかわ自然の窓――歩きしらべた一〇〇〇〇日」で環境大臣賞を受賞した石井信義(1941~2003)をはじめ、東京大学総合研究博物館で鳥類の研究をしている大学院生などがいる。2009年度から、文部科学省が理数教育に重点をおき、人材育成する「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」の指定校となり、理科教育のさらなる充実に力を入れている。
「彼らのように、将来、鳥類をはじめ生物や自然に深く関わるようになる生徒も、きっと出てくると思います。ただ、うちは生徒数が多いですし、生徒が好きなことはいろいろですね。それぞれの生徒の個性を、まず大事にしたい」
OBでもある高森さんの言葉には、建学の精神を愛し、生徒たちを慈しむ気持ちが、あたたかい雰囲気で漂っている。
(文と写真:森恵子)
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掲載日:2011年7月9日