広島女学院出身の友人が語った、女子校処世術…辛酸なめ子<18>

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自由な校風で面倒見もいい

イラスト・辛酸なめ子
イラスト・辛酸なめ子

 女子校出身の人とは何となく気が合う感じがして、それは同性に対する平和な感情を感じ取ったりするからかもしれませんが、中でも友人として親しくさせていただいているのが広島県の名門、広島女学院出身の漣さんです。牧師の資格を持ちながら、スピリチュアルな活動に携わったり、英語も堪能なできる女性なのですが、なんと広島女学院では生徒会長にもなっていたそうで……。当時の女子校ライフについて伺いました。

 「生徒会長になったのは、執行部に入っていて、その中でじゃんけんに勝ったから。帰国子女枠で入ったのでとくに優等生ではありません。小論文ができたくらいで、他のみんなみたいに勉強ができたわけじゃなかった。ふつうに学年最低点とか取ってました」

 でも、当時の卒業アルバムの写真を見ると存在感があるというかカリスマ性はあったように見受けられます。

 「卒業するときお互いノートにメッセージを書いてもらう風習があったんですが、その時に『正直すごい怖いと思ってました』と書かれていて、アグレッシブだったから怖いと思う人もいたんだな、と思いました。先生とケンカしたこともありました。泣きながら図書室に行ったら校長室に連れて行かれて、校長先生とは仲良かったのでそこでいろいろ訴えた記憶が。友だちからは冷静に『先生っていうのは変わり者がなるから相手にしちゃいけんよ』ってアドバイスされて衝撃を受けました(笑)」

 校長先生と仲良しというのもすごいですが、クールな友だちも大人ですね。女子校の多様性を感じさせるエピソードです。

 「私は成績が悪くて留年しかけたんですよ。理系も苦手でしたが日本史がとにかくできなくて、赤点赤点で私のためにだけ追試を作ってもらっていました。私はクリスチャンなので日本史の先生はわざわざキリスト教に関係がある問題を作ってくれたり。なんとか卒業させようとしてくれる面倒見がいい学校でした」

 成績が悪くてもとくに劣等感を覚えることはなかったそうです。学校の空気が平和だったからでしょうか。漣さんの言葉のはしばしから母校愛があふれていて、良い学校だったことが伝わってきます。卒業するとき、関わった全員の先生に手紙を書いたりするほど熱い思いを抱いていたそうです。

 「自由な校風で立地も街中にあって便利でした。何より女子校で良かったです。あと、私はキリスト教教育が良かった。宗教の時間や讃美歌などが思い出深いです。毎朝の礼拝でパイプオルガンが聴けるのは贅沢(ぜいたく)だったと思う。そして6年間一緒に成長する友だちがいて、お互い多感な時期にそれぞれの成長を見守ることができて良かったです。先生たちも見守ってくれて安心感の中ですごすことができました」

女子の人間関係の洗礼

 でも、その境地に至る前は、いろいろな試練や学びがあったようです。帰国子女だった漣さんは自己主張が強く、中学入ってすぐの頃は部活の人間関係で苦労したとか。

 「帰国子女で生意気じゃないですか、中1でバスケ部で、同級生に無視されたり仲間外れにされました。部活やめるのが悔しいからも気付かないフリを徹底したんです。それから、神様にお祈りしました。『言い返さない性格にしてください』って。そうしたら自然と言い返さない性格になって打ち解けていきました。1年くらい経ってから、あのときいじめられてたの気付かなかったでしょ?って言われましたが……」

 いじめの対処法「気付かないフリをする」「神様に祈る」、これは結構有効かもしれません。いじめっ子の低い波動に合わせず、神様に助けを求めることで、良い方向に導かれたのではないでしょうか。漣さんはポジティブな見解を示されました。

 「あのとき女子の怖さを知って、女子の中で生き抜く力を得られたのはすごい良かったと思う。基本的に女の人を敵に回すのは損だなとわかりました。生きづらくなってしまう。社会に出ると、それでも嫌いな人がいたりしてどうしようもない時があるけれど、男の人は敵に回しても女の人は敵にしない、というのが徹底しました」

 たしかに女子校で過ごすと、女の先輩だったり同級生だったり、様々なもめ事や難しい局面を通して、処世術を体得することができる気がします。

 部活の人間関係を通して成長した漣さんは、とらわれない自由人になっていきます。

 「高2か高3のとき、派手なグループと一緒にお昼ごはんを食べていたんだけど、ある日『私、抜けるから』と宣言しました。理由は、卒業まで残り少ないのでもっといろんな人と一緒にお昼を食べたいと思ったから。でも、そのグループと急にお昼を食べなくなったことで、みんなにいじめられてると思われて『大丈夫?』とか言われましたが……。それから、優等生だったりオタク系だったりいろんなグループと交流しましたね。私は不思議とどのグループとも仲良くできたんです」

 せっかく人気者グループにいたのに、抜ける宣言するとは……。私だったらできるだけ長くそのグループにいたいと思ってしまいます。漣さんはグループから抜けたあとも円満だったそうです。そのような境地に至りたかったです。

男子の前で態度が変わるのアリ?

 「女子校では異性の目がないから個性が爆発する、というところがあって、大学に入ったらブランドのバッグを持った同じようなメイクにファッションの女子だらけで、つまんないと思いました。気付いたのは、社会や共学の学校に行ってから、はじめて女子校出身者は変わってる、とわかるんです。例えば彼氏ができはじめて女子校の子と集まると下ネタのあけすけ感がすごかったり。無邪気に開き直っている感じです」

 女子校出身者は、全く下ネタに触れないタイプと、中学生男子のように無邪気に盛り上がるタイプにわかれるのかもしれません。私も20代までは下ネタに走りがちでした……。さらに漣さんによると、女子校と共学出身者にはこんな違いが。

 「大学に入ってからやっぱり仲良くなる子は女子校上がりなんです。なぜなら女子との約束を守るから。共学の人は、自然に、男子との約束を優先し、それが共学同士では暗黙のルールで許されるんです。男の前と女の前で態度が変わらないのが女子校で、変わっても許されるのが共学だとも感じました」

 女子校の場合意識しすぎて男子の前で挙動不審になる、という変わり方をする場合もあります。共学出身の女性の、異性に自然にフレンドリーにできる感じには羨ましさもあります。先日、ずっと共学だったという大手広告代理店の女性がこう言っていました。「見た目がタイプじゃなくて中身が好きな男性とはずっと友だちでいられる」と……。そんな感覚、この年になるまで気付いていなかった自分が不甲斐ないです(まず、男性を「キモい/キモくない」で分けがちだったことを反省)。共学では共学の、処世術や男女の適度な距離感を体得できるのでしょう。

 ともかく、女子校では女同士の信頼関係が築きやすいというのは確かです。多感な時期を6年も一緒に過ごすと幼なじみといっても良いくらいです。さらに漣さんの同級生は似通った家庭環境の女子が多く、それが結束を強めていたとか。

 「医者や会社経営者の娘が多かったです。広島はコミュニティが狭くて、皆つながっちゃう。この前4人の同級生と会っていたら、私以外3人のお父さん同士が修道高校から慶応大学で一緒だったそうで驚きました」

 父親が慶応大学率が高く、広島に戻って家業を継ぐ、というパターンが多いそうでした。同じタイミングで娘さんが生まれるというのも驚きです。もはや運命共同体のようです。

 「私のアイデンティティは女子校にあると思っています。広島女学院はディープでした。大学はヤバさがぬるかったです」

 という漣さんの言葉には共感してしまいます。人生の核となる時期に、濃い体験をできたことによる効果と副作用、両方あると思いますが、ときどき脳内で女子校の思い出をフラッシュバックさせながら、世知辛(せちがら)い日常を何とか乗り越えていきたいです。

プロフィル
辛酸 なめ子( しんさん・なめこ
 漫画家・コラムニスト。東京都生まれ、埼玉県育ち。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。近著は「大人のコミュニケーション術」(光文社新書)、「おしゃ修行」(双葉社)、「魂活道場」(学研プラス)など。

無断転載禁止
642785 0 マナビレンジャー 合格への道 2019/06/19 05:21:00 2019/06/19 09:51:27 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/06/20190617-OYT8I50035-T.jpg?type=thumbnail

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