伝説の桜蔭卒業生、水森亜土さんにインタビュー…辛酸なめ子<28>
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半世紀以上も女の子たちの心をつかんできた“先輩”

女子校のカルチャーを語る上でレジェンド的な先輩の存在を無視することはできません。水森亜土さんは1960年代からイラストレーターや歌手、テレビタレントとして活躍。2020年代になってもかわいいイラストの亜土ちゃんグッズは大人気で、かつて少女だった人たち、そして現代の若い女子たちの心を半世紀以上もつかんでいます。個人的にも幼稚園時代から憧れの存在でした。それから月日が
――亜土さんの自由な表現力は中高一貫教育で育まれたという部分はあるのでしょうか?
「規律の厳しい学校だったから、逆に『長い物には巻かれないぞ!!』という反骨精神から生まれたんじゃないかな」
亜土さんの女子校時代については著書「右向け~っ、左!!」(というタイトルにも反骨精神が……)でも触れられています。「ジュウシマツのヒナを連れて登校していたこともあったんですよ」という記述に驚きましたが、中学時代から独自の世界を確立されていたようです(ちなみに写真も載っていてかなりの美少女でした)。
――桜蔭では美術部とかに入っていたのでしょうか?
「美術部ってあったかしらね…。(←入っていない)
――ジャズ歌手として活動されていますが桜蔭の音楽の授業は楽しかったですか?
「美人の音楽の先生だったんだけどえこひいきでね、いつも同じ声のいい子にしか歌わせなかったから、なんだよーって思っていたわ」
先生に対する観察眼の鋭さを感じさせるエピソードです。
――「右向け~っ、左!!」によると当時はお茶大付属が女子校ではトップだったとのこと。現代とは人気校も違いそうですが、他に行きたい女子校はありましたか?
「お茶大付属はなんかツンとしている感じで、そこが羨ましかったかしら」
――当時の桜蔭は経済的に裕福な子女が多かったのでしょうか。
「わからないわ」
――亜土さんのように都会の女子が多いのでしょうか。
「わからないわ。四つ葉のクローバーの誓いを交わした当時の親友は神田や巣鴨から通っていたわ」
「四つ葉のクローバーの誓い」とは本にも書かれていましたが「ともに白髪になるまで友だちでいよう」とかたく誓い、お
母もそして妹も、受け継がれる桜蔭の遺伝子
――入試で覚えていることはありますか? かなり難しかったのでしょうか。
「難しかったわねー。私、追い詰められないとやらないタイプだったから一夜漬けのように徹夜してフラフラになりながら受けたわ」
なんと亜土さんのお母さま、そして妹さんも桜蔭という桜蔭ファミリーだったそうです。もしかして直前の勉強で受かったのでしょうか……。桜蔭遺伝子を受け継いでいる余裕を感じさせます。
――亜土さんは女子校では女子にモテそうですが、いかがでしたか?
「小さいころから冒険小説が好きでなりきったりして独自の世界に入って、世間一般に目がいかなかったから、女子校の時はモテるとかいう以前にみんなと合わせるチャンスもなかったわよね」
ご自分で完結されていたのかもしれません……。
――かつて言われていた女子同士のS(※)みたいな風習は桜蔭でもあったのでしょうか。
「お姉さまと妹みたいなSの世界に憧れてね。でもお姉さまがなかなか見つからなくて……」
――当時、好きな先輩とかいらっしゃいましたか?
「あまり美人でないお姉さまにあんみつ屋に誘われたことがあるわ。お古のブラウスをくれたり親切にしてくれたのが嬉しかったのを覚えているわ」
「あまり美人でないお姉さま」……この一言で当時の風景をリアルに想像してしまいます。
――女子校でよかったこと、逆に女子校のよくない影響はありますか?
「女子校って夢チックな乙女の団体みたいでよかったわ。近くに男子校があったんだけど『男ってダサイ! かかわりたくない』なんて思ったり。でも通学中に一人だけかっこいい子がいてドキドキしながらチラ見で終わったりね」
近くの男子校というともしかして昭和第一高校でしょうか(当時は男子校)。90年代に昭和第一高校のバッグが女子高生の間で大ブームになりました。イケメンも多そうです。
――当時桜蔭でBFがいる子はいましたか? 男子との交流があったら教えてください(仲が良い男子校など)。
「わからないわ」
――制服がださかったと本で書かれていますが、セーラー服が当時おしゃれなイメージだったのでしょうか。
「そうよ。セーラー服くらいステキな制服はないわ」
本には、近くの共立女子のセーラー服に憧れたと書かれていました。
「それに、なんてったって、スカートにひだがたくさんあるの! こっちは前と後ろで3本3本よ~」
桜蔭のストイックな紺の制服も
「地味で目立たない真面目な制服が不満でした」と、亜土さんはおっしゃいます。
――女子校の友達とは今も交流ありますか? 「四つ葉のクローバーの誓い」の親友とは今も仲良しなのでしょうか。
「おたけはライブ
亜土さんは全然白髪ではないので「ともに白髪になるまで」ではないですが、友情は続いているようです。
――桜蔭出身の後輩で有名人で注目している方はいますか?
「後輩は知らないけれど、先輩はいるわ! お母ちゃん!(亜土の母である美子さんも桜蔭出身)」
お母様は料理上手で小原流のお花の先生で、帽子を作ったり絵を描いたり、すごい才能の持ち主だったそうです。
――2020年、桜蔭は85人も東大合格者を出しました。トップを独走しています。そんな桜蔭について思われることはありますか?
「これから(桜蔭が)威張るわね!」
――大人になってから、水森亜土さんが桜蔭出身と聞いて周りからはどんな反応がありましたか?
「特にないわ」
桜蔭出身というブランド感にご本人はとくに関心がないみたいで、都会人の粋を感じます。
――本によると、桜蔭卒業後に入ったハワイの学校(モロカイ・ハイスクール)も楽しそうでしたが、日本の女子校との違いといえばどんな部分でしょう? ハワイでは男女の交遊もさかんだったのでしょうか。
「ハワイの学校ではフラダンスの女王とかいて、フラショー(フラダンスのショー)を追っかけて島の反対側まで観に行ったりしたわ。デートの前はみんなミドリ色のペパーミントソーダを飲むのよ。吐く息がミントのいいにおいになるから、飲んでる子を見るとあっデートなんだなって。
ハワイは女子校もないし、厳しい規則もないフリーダムなスクールライフだった。同じ学校のタヒチアンダンサーの子の中にはすでに子供がいる子もいたり。若くしてお母さんになっている子を見て思ったの。フリーに憧れていたけれど、若いうち(ティーン)は厳しい規則があるって良いことなんだって。厳しい規則があってフリーに憧れるくらいが良いのね」
フリーダムすぎる学校に通って、適度に厳しい女子校の良さを知る……実際体験した人だけが言える言葉です。亜土さんのように厳しい校風からの反骨精神で、自分の道を見つける人もいます。
――生まれ変わっても女子校、そして桜蔭に入りたいですか?
「生まれ変わったら鳥とか、人間じゃないのがいいので女子校にも桜蔭にも入らないわ」
人間という枠にもとらわれない自由な魂の持ち主でいらっしゃいました。人間以外に生まれ変わっても、桜蔭での教養が魂に刻まれていたら最強かもしれません。女子校は生きる力を養ってくれます。
※ 弥生美術館は新型コロナウイルスの影響で当面の間休業中です。「いつみても、いつでもラブリー 水森亜土展」の情報は以下の公式サイトで告知されますのでご確認ください。きっと気持ちが楽になって元気になる展示だと思います。
※ 水森亜土さんの答えの部分は、メールでお送りしたインタビュー内容について、亜土さんの劇団の事務所の方が電話で聞き取って書き起こしてくださいました。
※ シスターやシスターフッドの略で、女子校の先輩後輩同士のほのかな慕情や親密な関係を表します。
