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モテる男子高生と女子高生のめくるめく交遊…辛酸なめ子<41>

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モテる男子校、わけてもトップの学校は?

イラスト・辛酸なめ子
イラスト・辛酸なめ子

 いつの時代も、モテる男子校というのは存在します。自分が中高生の頃は、駒場東邦や麻布などがイケてる男子が多い印象でした。早稲田実業、明大中野や海城は女性に慣れているイメージ。筑波大付属駒場、開成はファッションは地味目でしたが、将来性があって手堅い人気が。私の場合、人気が高い男子校の文化祭にはなかなか足を踏み入れる勇気がなかったです。名門校の女子中高生が臨戦態勢でメイクして臨むことを想像すると、とても太刀打ちできないものを感じていました。勇気を出して行った海城の文化祭で、友人にけしかけられてフィーリングカップルに参加したものの誰にも相手にされず、泣きながら教室から走り出た思い出が心に刻まれています。

 30代で共立女子出身のSさんに、当時人気だった男子校について伺うと、「明大中野と明大明治(今は共学)が結構人気ありました。質実剛健なイメージが。当時、彼氏の学校のバッグを持つのがステイタスで、特に明中、明明、それから慶応のバッグを持っていたら羨望の 眼差(まなざ) しで見られました」と、中高時代を思い出して語ってくれました。彼氏の学校のバッグ……私の時にはそんな発展した文化はなかった記憶です。

 「慶応の彼氏がいるのはクラスのヒエラルキーでもトップのかわいい子が多かったです。イケメンが多かったですがチャラかったですね」と、Sさん。多くの女子生徒にとって、慶応の彼氏はステイタスとして最上級のランクだったのでしょう。

イケメン男子もここまで来ると「公人」

 そんな慶応に中学受験で入学し、慶応志木高等学校に進学したぴーやまさん(Clubhouseでも人気のインフルエンサー)は、2006年頃「東武東上線で一番モテる男子高校生」として勇名を (とどろ) かせていました。そんな、当時だったら雲の上の存在だったぴーやまさんに男子高時代の貴重な話を伺うことができました。やっぱりモテていたのでしょうか? 

 「モテてましたね」と、潔く肯定するぴーやまさん。

 「高校時代は、結局モテるためのテクニックがないので、学歴と見た目の2点突破でした」

 高校時代は読者モデルもしていたほどのルックスで、当時の記事を拝見すると、ギャル () 風の写真に「つきあいはじめの頃は間接キスでもか~な~りドキドキするんです」と、経験値の高そうなコメントが添えられていました。そこに至るまでの進化の歴史は……。

 「中1の時はメガネかけてました。中2の時にGACKTを知って、髪型を真似してました。中3の時、岡田准一の襟足を真似したり、山下智久の主演ドラマが 流行(はや) った時は俺も山Pじゃんって」

 ジャニーズの珠玉のイケメンオーラを吸収し、勢いづいたぴーやまさん。

 「俺の代ではケンタロウと俺が二大巨頭。ちょうど山Pの『修二と彰』の曲が売れていて、俺たちの曲じゃん、と思ってました。慶応志木高は人気があって二個上にはジュノンボーイに選ばれた先輩や、一個上にもモテて目立っている先輩がいましたね。俺も高三の時にジュノンボーイに応募したんですが、一緒に応募した友達に「山P、面接の知らせ来たよね」って言われたけど来てなくて、一次で落ちました……」

 そんなプチ挫折もものともせず、雑誌に出たりして知名度を高めていったぴーやまさん。イケてる男子高生はジュノンボーイに応募するんですね。当時、高校生クイズ選手権などには応募したことがありましたが(即落選)、全く別のベクトルの青春があったようです。

 「高三の時は自分は 公人(こうじん) だと思ってました。学校にファンレターが来たこともあります。校内でもミスターコンテストがあって、プレッシャーがすごくあって……でもぶっちゃけ俺がなるって決まってたんです。皆が受け入れてくれるか心配だった。ステージでちょっと泣いちゃったりして。実は高二のとき、ちょっといじめられてて、椅子に接着剤つけられたりしてました。そのいじめてた奴がミスターコンテストで司会をしてて、一個のものを一緒に作りあげることができた」

 と、当時を懐かしそうに語るぴーやまさん。今はトークのスキルが高いですが、高校時代は女子とデートしても話が弾まなくて、ぴーやまさんがゲーセンで「太鼓の達人」をプレイする姿を女子にただ見てもらう、というシュールなデートをしたことも……。「今こうやって (しゃべ) れるのって勉強したんです」と、裏では努力を惜しまないまじめな一面をお持ちです。

出会いの場は文化祭か合コン

 男子校なので女子と知り合えるのは文化祭だそうで、志木高の文化祭は「収穫祭」という名称でした(一体何を収穫……)。ちなみにどんな女子校が来ていたのでしょう?

 「浦和一女、浦和明の星が多かったですね。東京からだと東京女学館とか」。埼玉のトップ女子校が集っていたようです。そして東京女学館、テリトリー広いです……。

 当時の雑誌の記事を見せていただいたら、ぴーやまさんとイケメンの友達が収穫祭をPRしていました。「イケメン率が高いのは、校内入ってすぐの池周辺か掲示板前ってウワサ」「知らないコでも楽しめるようにしてあるんでぜひ」といったカリスマ男子高生のコメントが。ぴーやまさんは「今年は10人くらいで“メイド喫茶”をやる予定! コスプレするかもしんないんで、遊びに来てね!」とくだけた口調で語っていました。

 実際にメイド喫茶はどんな感じだったのでしょう。

 「それが、俺がいるから行列になっちゃったんです。ドリンクを出すのが難しくなって、連絡先を渡して帰らせる、っていう仕切り方をしてたんです。握手も求められました」

 と、かなりの公人ぶりを発揮されていたようです。そんなぴーやまさんと付き合っていた女子は、羨望の的となり、「ぴーやまさんの彼女さんですか?」と後輩に声をかけられたり、公人化していったそうです。

 「僕の最初の彼女は浦和明の星だったんですよ。なんか結局、慶応志木-浦和明の星っていう線が濃くて。なんとなくかわいい子が多い。浦和一女も頭いいしかわいい子多かったですね。明の星の方がおしとやかなイメージ」

 と、埼玉の女子校事情を語ってくれたぴーやまさん。文化祭以外では合コンで異性と出会うことも多いとか。

 「浦和明の星の子4人とカラオケ歌広場で、1人500円くらいで合コンしたり。お酒は飲まなかったですね。最初の彼女とも池袋の歌広場で出会いました。かわいかったし、メール交換するうちにデートしようってなって」

 高校生なので青春ドラマみたいなピュアなデートを想像してしまいますが……。

 「デートの場所は水族館とかカラオケ、ウィンドーショッピング、それからサイゼリヤです。最初のデートでは、サイゼリヤの小エビのカクテルサラダをどっちが頼むかで小競り合いがあったりして。結局一緒に食べてワリカンにしましたね」

 と、牧歌的なデートみたいで老婆心ながら安心しかけたのですが、

 「もっと関係を深めたい時は池袋のレンタルルームを使ってました」と、ぴーやまさん。レンタルルームという、また知らなかった文化を教えてもらいました。モテていた男子高生時代の無敵感を今も漂わせるぴーやまさん。中高生時代、モテとは無縁でカルチャーに造詣が深くなる十代もいれば、経験値とこなれ感を身につける十代もいて、どちらもその後の人生の原動力になりそうです。

プロフィル
辛酸 なめ子( しんさん・なめこ
 漫画家・コラムニスト。1974年東京都生まれ、埼玉県育ち。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。人間関係、恋愛からアイドル観察、皇室、海外セレブまで幅広いテーマで執筆。著書に「辛酸なめ子の世界恋愛文学全集」「スピリチュアル系のトリセツ」「愛すべき音大生の生態」「無心セラピー」「電車のおじさん」「新・人間関係のルール」ほか多数。この連載をまとめた「女子校礼賛」も。

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2185434 0 マナビレンジャー 合格への道 2021/07/07 05:02:00 2021/07/12 10:17:02 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210707-OYT8I50003-T.jpg?type=thumbnail

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