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    歴史・文化財

    300年前の焼けた瓦発見・石積みの水場遺構も、創建からの変遷解明へ…佐賀城本丸跡

    • 差図に描かれていない水場遺構
      差図に描かれていない水場遺構
    • 享保の火災で焼けたとみられる大量の瓦
      享保の火災で焼けたとみられる大量の瓦
    • 大量の瓦の中から見つかった杏葉紋鬼瓦
      大量の瓦の中から見つかった杏葉紋鬼瓦

     佐賀県は、発掘調査を行っている佐賀城の本丸跡(佐賀市)で、約300年前の1726年(享保11年)の火災で焼けたとみられる大量の瓦や、石積みの水場遺構が見つかったと発表した。瓦は江戸時代初期の創建当時のものも含まれる可能性があり、県は「創建からの変遷を解明する上で貴重な資料になる」としている。

     県教委文化財課などによると、瓦は本丸跡の北東側にあたる佐賀城本丸歴史館の玄関前の調査区で見つかった。確認できただけで9メートル四方、深さ0・5メートルに及び、さらに広がる。多くが焼けて赤く変色し、炭化物も混じる。

     本丸や天守閣などを全焼した享保の火災の時のものとみられ、第10代藩主・鍋島直正が本丸を再建した天保期以降に埋められたと考えられる。これまでの文献記録でも把握されていなかった。中には鍋島家の家紋「杏葉ぎょうよう紋」の鬼瓦もあり、享保期以前の瓦にも杏葉紋が使われていた可能性が高まった。

     水場遺構は奥行き3・5メートル、幅3メートル、深さ2メートルで、女性が暮らす「奥」の南端で見つかった。本丸再建に合わせて造られたとみられ、東西2か所に暗渠あんきょ(地下水路)も確認された。

     水場遺構は、再建時の差図さしず(設計図)には描かれておらず、初めての発見。青銅製のかんざしや木製の箸も出土し、当時の生活の様子や水道施設の構造を解明する上で貴重な資料になるという。

     藩主の生活空間である「うち」の調査区では、再建時の礎石に加え、さらに下方から創建時のものとみられる礎石も見つかった。再建時以降の差図しか現存しないため、それ以前の建物の配置を知る手がかりになる。

     今回の発掘調査は「明治維新150年」を機に、直正が再建した本丸の全体像を明らかにしようと、昨年10月に始まった。今月上旬までに発掘を終え、来年度に調査結果をまとめる予定。

     佐賀城本丸歴史館の浦川和也・企画学芸課長は「直正が再建した頃の様子を探りたいと考えていたが、創建当時の佐賀城の様子も垣間見ることができた」と意義を語った。

    6日に現地説明会 埋め戻し前の発掘現場を見る最後の機会として、6日午後1時半~3時に現地説明会が開催される。参加無料。問い合わせは佐賀城本丸歴史館(0952・41・7550)へ。

    ◆佐賀城

     藩祖・鍋島直茂、初代藩主・勝茂の親子による1608~11年(慶長13~16年)の佐賀城総普請で、龍造寺氏の村中城を拡張して築かれた。本丸は享保の火災で焼失し、藩主は二の丸に暮らしたが、1835年(天保6年)から3年かけ、直正が再建した。現在は佐賀城本丸歴史館として、公式行事に使う「表」など一部が復元されている。

    2018年10月04日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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