文字サイズ

    <1>導かれ山口へ移住

    ミカン作り、詩が支え

    • 収穫したミカンを選別する斉藤さん
      収穫したミカンを選別する斉藤さん

     山口市出身の詩人・中原中也(1907~37年)の生誕から、今年は110年となる。わずか30歳で早世したが、作品は輝きを増し、多くの人々の心を照らし続けている。中也が織りなした言葉を受け止め、様々な“生”を紡ぐ人々の姿を描く。

     瀬戸内海に浮かぶ周防大島町・屋代島。山腹の畑にやわらかな冬の日差しが注ぎ、たわわに実ったミカンを照らしていた。「酸味が少なくて、食べやすいミカンができました。昼は収穫、夜は選果などの出荷作業で大わらわです」。ミカン農家の斉藤彩乃さん(31)は、ほほ笑んだ。

     斉藤さんは横浜市出身。幼少の頃からミカンが好物で、東京農大、愛媛大大学院でミカンの品質などを研究。2010年、島に移り住んだ。「中也がここまで連れて来てくれた。というか、私が追いかけてきた。今は幸せをかみしめています」。斉藤さんは振り返った。

         ◇

     中也の作品と出会ったのは、中学2年の秋だった。

     友人との関係に悩んでいた。「学校に私の居場所はない」と苦しんでいた。その頃、学校の図書室で手にした詩集に、中也の作品があった。

     〈これが私の故里ふるさとだ/さやかに風も吹いてゐる/心おきなく泣かれよと/年増婦としまの低い声もする

     あゝ おまへはなにをして来たのだと……/吹き来る風が私にふ〉(「帰郷」より)

     「古里を愛しているのだけど、手放しでそうとは言えない複雑さを感じた。そんな影があるところが、自分の気持ちに重なった」。心を揺さぶられ、むさぼるように言葉を追った。

     その後、図書室で詩集や、中也に関する解説本などを片っ端から借りて読み、こんな言葉と出会った。

     「僕は分らなくなつて悄気しょげた時、悄気ます。人のやうに虚勢を張れません。そこで僕は底の底まで落ちて、神をつかむのです」

     中也が、かつて交際していた女優・長谷川泰子に宛てた手紙だった。「自分の苦しい胸の内を代弁してくれた気がした。そのままの自分でいいんだと思えた」。この言葉は今も、心の支えとなっている。

         ◇

     高校時代、周防大島がミカンの産地と知り、「中也を育んだ山口でミカンを育てたい」と決意。大学の頃は度々、横浜から夜行バスなどを乗り継いで島を訪れ、県の実習園でミカン作りを学んだ。大学院修了後、島内の農協などに勤務。12年に畑を借り、農家として独立した。現在、計約1ヘクタールの畑で栽培している。

     草むしりや害虫防除などに追われる日々だが、作業が落ち着いた夜、ふと手にするのが中也の詩集だ。

     「悲しい時、悩みを抱えた時に読むと、苦しみが底をついて、ふっと浮かび上がる。ここまでのめり込んだ作家はいない。一途いちずですね、私」

     収穫を終えた畑では、木枯らしが吹き抜けていた。新たな取り入れに向け、やがて剪定せんていや施肥の作業が始まる。

    〈同時代の文人たち〉

    みすゞ生き物へのまなざし

     金子みすゞ(1903~30年)は長門市出身。西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と称賛されたが、若くして世を去り、“幻の童謡詩人”とも言われた。

     捕鯨基地として栄えた仙崎地区で生まれ、自然に恵まれた環境で育った。下関市に移った20歳の頃から雑誌の投稿を開始。22歳で結婚し、長女を出産した。だが、夫と折り合いが悪く、離婚。26歳で自殺した。

     〈大羽鰮おおばいわしの/大漁だ。

     浜はまつりの/ようだけど/海のなかでは/何万の/鰮のとむらい/するだろう。〉(「大漁」より)

     金子みすゞ顕彰会事務局長の草場睦弘むつひろさん(74)=写真=は「大漁」などを例に挙げ、「魚や小鳥など小さくて弱い生き物を、かけがえのないものと捉える優しさ、温かさがある」と話している。

     ◇「紡ぐ・中也生誕110年」へのご意見をお寄せください。宛先は山口総局(yamaguchi●yomiuri.com、送信の際は●を@に変えてください)。

    2017年01月03日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    よみうりSPACEラボ