[安心の設計]疲労困憊 孤立の日々…阿久津美栄子さんのケアノート

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 介護者らの地域での居場所作りを支援するNPO法人「UPTREE」(東京)代表、阿久津美栄子さん(51)は、30~40代の時、父母がともにがんで倒れ、子育てしながら2人の親を遠距離で介護するという「四重苦」を体験しました。中途半端な介護に終わり、今でも後悔していると振り返ります。

 

子育てと両親の遠距離介護

懸命に介護した両親との別れを思いだし、涙ぐんだ。「介護を知識や技能ゼロからスタートし、本当に孤独でした。若い時期から、介護について積極的に学んでもらいたい」=吉川綾美撮影
懸命に介護した両親との別れを思いだし、涙ぐんだ。「介護を知識や技能ゼロからスタートし、本当に孤独でした。若い時期から、介護について積極的に学んでもらいたい」=吉川綾美撮影

 長野県内で電気工事会社を営んでいた父と、主婦の母は、厳格な人でした。幼い頃から反発していた私は地元を離れ東京で就職。結婚後は退職し、2001年から夫の転勤先の大阪で暮らしていました。

 

 《06年秋、長野の実家にいる兄から電話がきた。「母さんが倒れて病院に運ばれた」。4歳の娘の子育てと母親の介護で、大阪と長野を行き来する生活が始まった》

 

 当時70歳の母は、家で料理中に倒れました。急いで帰省すると、退院していた母は元気そうで安心しました。翌月、検査結果を聞くため再び帰省すると、父が最寄りの駅に車で迎えに来ました。なぜか家に帰らず、スーパーの駐車場に。「落ち着いて聞け。母さんは肺がんが脳に転移し、余命3か月だ」。突然のことに私は血の気が引き、号泣していました。兄夫婦には仕事もあるので、素直に私が母の介護をしようと決めました。

 

 《月に1度、大阪から電車を乗り継ぎ、片道7時間かけて介護に通った。幼い娘を連れて行くこともあった》

 

 父はそれまで全く家事をしませんでしたが、私が料理を教えると、母のため台所に立つようになりました。

 宣告された3か月を過ぎても母は元気でした。私は母を何とか助けなくてはと考えて「他の病院でセカンドオピニオンを聞こう」と提案。父は「先生にそんなことを言っていいのか」と反対しましたが、受け入れてくれました。

 その後、転院した病院で抗がん剤治療や2度の手術を受けました。母はおむつをかたくなに拒んでいましたが、おむつでの排便を受け入れてから表情が乏しく、言葉もなくなりました。それでも「マッサージする?」と聞くとうなずき、アロマオイルで手足をさすると喜んでくれました。

 一方、介護に追われ、幼い一人娘に寂しい思いをさせていることが気がかりでした。その頃の娘の遊びは、ティッシュで作った包帯や酸素マスクを使い、大好きなリカちゃん人形との「介護ごっこ」。母にやきもちをやいていたそうで、「ばあばにママをとられちゃった。でも病院に一緒に行くのは楽しいよ」と言われ、複雑な思いがしました。

 

 《介護生活4年目の09年夏、今度は父が実家の庭で倒れ、両親のダブル介護に。阿久津さんは疲弊していった》

 

 父は02年に直腸がんを手術し、治ったと思っていましたが、再発でした。既に、甲状腺や背中にがんが転移。母の介護もあり、がんの痛みを隠していたのです。父が倒れ、病院と自宅、介護施設を転々としていた母の受け入れ先を必死で探す私たちを見かね、父の主治医が、母も父と同じ病院に入れてくれました。私が不在の時は兄夫婦が両親をみてくれ、感謝しています。

 でも、子育てと遠距離での両親介護の「四重苦」に疲労困憊こんぱいでした。近くに相談できる人がおらず、「誰も理解してくれない」と思うように。介護うつ状態に陥り、買い物でお釣りの計算ができないくらいになっていました。

 09年12月、兄から「父が亡くなった」と連絡を受けました。夜、駆けつけた病室で父とお別れをし、翌朝、別の病室の母に「父さん死んじゃったよ」と伝えました。既に寝たきりで、言葉が分からないと思っていた母の目から涙がこぼれ、驚きました。

 

 《その2か月後、母は74歳の誕生日の10年2月6日、旅立った。両親の死を受け入れられず、大きな喪失感にうちひしがれたという》

 

 兄夫婦は母の誕生日を祝おうと、前日から病院スタッフと張り切って準備していました。ところが当日未明、母は静かに息を引き取りました。兄や私のため、誕生日まで頑張ったんだと感じました。

 母には余命宣告を隠し、介護や延命治療などの希望を一回も聞かなかったことを非常に後悔しています。私はどんな形でも生きてほしいと思い込んでいました。でも、両親にとって納得できる最期だったのか。自問自答が続きます。

 私は39歳から42歳までの約4年間、両親を介護しましたが、介護保険や病院の仕組みなど何も知らないゼロからのスタートで苦労しました。私のように孤立しがちな介護者の支援に取り組んだのも、地域で介護の情報共有や悩みを語り合える居場所の必要性を痛感したからです。4月には、スマートフォンで介護情報を紹介するLINEアプリ「介護あっぷあっぷくん」を公表予定です。若い世代が困らないよう事前に介護の知識を得る機会になればと願っています。(聞き手 岩浅憲史)

 

 あくつ・みえこ 1967年、長野県生まれ。2013年、NPO法人「UPTREE」(東京)を設立。介護者の居場所づくり事業や、「介護者手帳」の制作などを手掛ける。17年に「ある日、突然始まる 後悔しないための介護ハンドブック」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を出版。

 

 ◇取材を終えて 「介護を始める際には家族の生活状況とできること、できないことを書き出すなど、情報共有と役割分担が大切」と話す。介護経験や支援活動から、老いていく親の現実に向き合えなかったり、誰にも相談できずに一人で背負い込んでしまったりする人が多いと感じ、介護者らが笑顔で交流できるカフェを始めた。今、介護に悩んでいる人たちに真摯しんしに向き合って支えようと取り組む姿に、励まされる人は多いだろうと実感した。

425391 1 ライフ 2019/02/06 05:00:00 2019/02/06 05:37:38 インタビューに答える、NPO法人アップツリー代表の阿久津美栄子さん(18日、読売新聞東京本社で)=吉川綾美撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/02/20190205-OYT8I50063-T.jpg?type=thumbnail

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