高田賢三さん死去、宮本亜門さん「仕事の細かさや丁寧さは尋常でなかった」

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アテネオリンピック開会式で、高田さんがデザインした公式ユニホームを着て入場行進する日本選手団(2004年8月、ギリシャ・アテネのオリンピックスタジアムで)
アテネオリンピック開会式で、高田さんがデザインした公式ユニホームを着て入場行進する日本選手団(2004年8月、ギリシャ・アテネのオリンピックスタジアムで)

 色彩豊かなフォークロア(民族調)スタイルと独創的なファッションショーで、欧米中心の服飾文化に衝撃を与えたファッションデザイナーの高田賢三さんが4日、81歳で死去した。1970年のパリデビューから50年の節目の年に飛び込んだ悲報に、国内外から惜しむ声が聞かれた。

 文化服装学院時代の同級生だったファッションデザイナーのコシノジュンコさんは、「あまりにも突然で驚き悲しんでいます。世界のKENZOとして皆に愛された『ケンチャン』。思い出がいっぱいつまった時間を共有できた最愛の親友でした」とコメントした。

 同い年のファッションデザイナー、菊池武夫さんは、「世界に日本人デザイナーを最初に認知させた偉大な人と尊敬していました。パリで初めて会った時の屈託のない笑顔が脳裏に焼き付いています」と振り返った。

 昨年上演されたオペラ「蝶々夫人」の衣装制作を依頼した、演出家の宮本亜門さんは、「仕事の細かさ、丁寧さは尋常でなかった。衣装には日本と西洋それぞれの美しさが取り入れられ、演者が並んだときのグラデーションは夢のようだった。前例踏襲ではなく次々と新しいアイデアを出す、オリジナリティーにあふれた人。来年に控えた蝶々夫人の海外公演を楽しみにしていたのに……」と悲しんだ。

「KENZO」ブランドのデザイナーとして最後のパリコレを終え、モデルや関係者の祝福を受ける高田賢三さん(1999年10月、パリ市内で)
「KENZO」ブランドのデザイナーとして最後のパリコレを終え、モデルや関係者の祝福を受ける高田賢三さん(1999年10月、パリ市内で)

 パリ市内も追悼ムードに包まれた。仏紙ル・モンドやフィガロ、パリジャンなどの電子版が、高田さんの死去を詳報。開催中のパリコレクションを主催する、仏オートクチュール・プレタポルテ連合協会のラルフ・トレダノ会長は「独創的なカット、多文化のインスピレーション、エキゾチックなプリントで、ファッションの新しいページを書くことに貢献してきた」とした。パリのアンヌ・イダルゴ市長はツイッターに、「彼はファッションの中で色と光に居場所を与えた。パリはきょう、息子の死を悼んでいる」と書き込んだ。

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1522610 0 ライフ 2020/10/05 11:53:00 2020/10/05 13:34:28 2020/10/05 13:34:28 「ケンゾー」ブランドのデザイナーとして最後のパリコレを終え、モデルや関係者の祝福を受ける高田賢三さん。パリ市内で。1999年10月8日夕刊「ケンゾーLASTパリコレ 30年の活動回顧、「色の魔術師」新たな出発誓う」掲載。※紙面掲載の画像は「CMYK」 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/10/20201005-OYT1I50028-T.jpg?type=thumbnail

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