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「幸せにはまったく無関心です。が、なぜ関心がないのか興味がおありならお出かけください」。絵本作家の五味太郎さんに取材を申し込むと、予想外の返事をもらいました。早速、東京都内のアトリエで真意を聞きました。紙面では伝えきれなかった話をじっくりとお楽しみください。(生活部 矢子奈穂)
最初はみんな、本当は幸せだった
――「幸せに関心がない」という理由や思いを教えてほしいです
「なんで世間ではこんなに『幸せ』について悩むのかが不思議で、俺が取材したいくらい。『幸せになる』って言い方にも、いつもひっかかっている。幸せって、抽象的なんだよね。目標を掲げて達成するようなものではないのに、『幸せになろう』と努力しようとする。そういう意味で言うと、『もっと具体的に言えよ』という感じがある。『お金がほしい』とか、『話し相手がほしい』とかね、具体的に追求すればいいじゃんって」

「『幸せになりたい』」って言っている人は、幸せになれない気がする。だって幸せを、自分で否定しているから。健康になりたいと言っている人は、病気ってことでしょう。みんな目標を掲げて達成するということが好きだよね。でも、『幸せになろう』と目標に設定するのは違うんじゃないかな。それとも、多くの人が、今の自分は不幸だから、幸せになりたいって言わざるを得ないのかなあ。その辺が不思議な感じもする。不幸だと思ったら、誰かが悪い、何かが悪いってなっていく、悪循環だよね」
――幸せって、何でしょうか
「幸せって、喜怒哀楽に満ちているってことだよね。充足していること。わざわざ自分の能力を超える設定をする必要はないし、他人と比較するものではない。他人からの評価でもない。それなのに、幸せに悩む。ずっと気になっているのは、初等教育なんだよね。初等教育のボタンの掛け違いで、最初はみんな、本当は幸せだったのに、だんだん幸せではなくなっていくということもあると思う」
―― ボタンの掛け違いとは
「初等教育の時に、人生には目標を設定することが大切だと教わる。よく、達成感っていうよね。夏休みの目標とか、学期ごとの達成目標とかを立ててがんばれって。他人と比較し、競うようになっていくと、よくない。競う気もなく、穏やかにぼーっとしていると、叱られてしまう。子どもは本来、ぼーっとしていていいんだよな。マイペースでいいのに、それじゃいけないって言われてしまう」
「やがて、競争して、勝たなければいけないということが、無意識に設定されてしまう。こういう教育をやっていたら絶対にだめだよ。親も、隣の子よりうちの子が劣っているとか、競う感じで、大人が決めた目標を達成することに向かっていくと、最初に生まれついた幸せがなくなっていく。幸せだったものを不幸せにしていく教育だよね」