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    自分がもし本屋を開いたら――。本好きな著名人が登場し、書店主になりきります。

    10月の店主は仲道郁代さんです

    魂を共振させてくれる所

     哲学者カントは書いた。「私の上なる星空と、私の内なる道徳律」。カントを学んだベートーヴェンは晩年に書いた。「われらの内なる道徳律と、われらの上なる星空」。

     「私」と「私たち」。「私」は、あなた達の中でワタシとして認識される。あなたがいて初めて私はワタシそのものを認識する。そしてあなたも、他者の中で一人のワタシとなる。

     鷲田清一さんの『「聴く」ことの力』で語られる臨床哲学とは、ワタシとあなたの関係の中で見出みいだされる生きた哲学である。他者の前に身を置くことによって自分自身もまた変えられるような経験の場。「聴く」という、受け入れる行為がもたらす可能性の哲学。

     そこでは聴くことによって心が響き合う。ここに、私は“祈り”とも言えるような感覚を持つ。ちっぽけな私は、多くのあなた方、すなわち多くのワタシ達の中で生かされている。そして、あなたの内なる声、私の内なる声を聴くことによって、私は私として生きている。生きているという感覚を持つことができる。

     ショパンが祖国ポーランドを去る最後の演奏会。2度と戻ることのなかった故郷。そこで奏でられた協奏曲を、彼のお母さんはどのような思いで聴いただろう。友人達は? ショパン自身はどんな思いで奏でたのか。そして200年という時を経て、今、私はどんなおもいをのせて演奏するのか。それを聴いてくださるそれぞれのあなたは、何を聴くのか。

     言葉で語られるものはそこには何もない。在るのは、鷲田さんの言葉を借りれば、「わたし、あなた、かれといった人称の境界をいわば溶かせるようなかたちで、複数の<いのち>の核が共振する現象とでもいうべきもの」であろう。

     いのち……。言葉にできないほど不確かで、曖昧で、重く、素晴らしいもの。その核が、共振するという現象。

     それはかけがえのない時間だ。そんな瞬間を持つことができたら、人はどれだけ柔らかく強く在ることができるだろうか。

     私は、私の上なる星空を見上げながら、願わくば、上なる星空に包まれながら、私の内なる声を聴き、音に託す。音楽が奏でられ、それを聴くとき、音楽が私達の魂を共振させてくれることを私は信じる。

     私の空想書店は、そんな経験があるということを感じられる場所となりたい。

     なかみち・いくよ ピアニスト。1982年日本音楽コンクール1位、86年ジュネーブ国際音楽コンクール最高位。国内外のオーケストラと共演を重ねる。レコーディング多数。著書に『ピアニストはおもしろい』。

    店主の1冊

    ●『「聴く」ことの力 臨床哲学試論』(鷲田清一著、ちくま学芸文庫、1000円)ただ受けとめる、「聴く」ということが、他者の自己理解をひらく。人と人とのつながり方や存在を尊重するということを、臨床の現場から深く考えさせてくれる。

    ●『新編 銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫、430円)言葉から天上の音楽が聴こえる。宇宙を美しい響きで震わせる音楽は、生きることの意味、切なさと美を考えさせる。

    ●『預言者』(カリール・ジブラン著、船井幸雄監訳・解説、成甲書房、1400円)言葉になった智慧ちえは、言葉にならない智恵の影。心の中でもう知っていることなのだ。

    ●『八木重吉詩画集』(八木重吉詩、井上ゆかり絵、童話屋、1500円)心の底に透明なしずくが染み込む。かなしいと美しいは同義。感覚の粒子をさらに砕いていくと見えてくる世界。

    ●『音楽を愛する友へ』(エトヴィン・フィッシャー著、佐野利勝訳、新潮文庫、品切れ)後半のB・ワルターの「音楽の道徳的ちからについて」。私はその文章に感化されて生きてきた。

     丸善丸の内本店(JR東京駅前)の3階で、近日中に仲道郁代さんの「空想書店」コーナーが登場します。

    2018年10月24日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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