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    【文芸月評】近現代日本 見つめ直す

    平成の終わり 一つの節目

    • 四方田犬彦さん
      四方田犬彦さん

     比較文学や映画批評などで多彩に活躍する四方田よもた犬彦さん(65)が、「初小説」と銘打った長編「鳥を放つ」(新潮)を発表した。1972年、大学入学のため上京した、著者と同世代の男のそれからの40年をつづる物語だ。社会が豊かになり、新たな文化的な潮流が生まれた80年代以降のポストモダン(脱近代)の世を経て、隘路あいろに入ってゆく時代の精神史にも感じられた。

     物語は、大学生活に希望を膨らませ、学内を歩いていた主人公が、過激派の学生に別人と間違われて襲われかける場面から始まる。薄気味悪い恐怖感を覚えながら、やがて、彼には仏文学や文化に興味を持つ友人ができ、いつも2人組で行動する女性の一人に恋心を抱く。

     続いて、舞台は80年のパリ、84年の東京に移る。男は現代思想誌の編集者になった。出張先のパリでは、ロラン・バルトやフーコーなど現代思想にかぶれる学者の卵となった旧友と再会する。だが、ニューアカデミズムが国内で隆盛を極めた84年、病死したフーコーの追悼号の編集中に男はトラブルを起こす――。

     甘く心をかむ青春小説のような冒頭、繰り返す分身や鳥のイメージ、巧みな展開も気をもたせる。その後、男は日本を離れてフランスやアフリカをさすらい、話は2001年のマダガスカルへと飛ぶ。

     本書の核心は、男の85年からの15年間を描かないことだ。同時期の日本は、経済的にはバブルとその崩壊を経験し、文化的には社会の進歩や正義といった大きな問題より、個人の小さな価値を重んじるポストモダン的傾向を強めた。同時に今月6日、教祖だった麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚ら元幹部7人の死刑が執行されたオウム真理教のような集団の出現を許した。

     70年代に学生運動が内ゲバに陥った暴力の論理を総括できないまま、現代の知は、オウムをはじめ様々な社会の悪に対峙たいじできない、狭く、浮ついたものに陥ったのではないか。異国をさまよう男の空白の時間が、著者を含めたこの世代の知に関わった者の営みを問う。物語は東日本大震災の翌年の場面で終わる。書かれない投げかけは、震災後の世界にも向けられている。

    • 島田雅彦さん
      島田雅彦さん

     「文学界」昨年6月号からの連載が完結した島田雅彦さん(57)の長編「不死男」も、1861年から約160年、戸籍を偽造しながら生きてきたと語る男の告白を通して、明治から現代に至る日本の道のりを問い直すものだった。

     明治の文明開化、日露戦争、関東大震災、昭和の戦争、終戦や高度経済成長も全て一市民として味わった。蓄音機で一もうけしたこともあれば、従軍記者として働き、大物右翼とつきあいもした。どこまで本当でうそか分からない、ちぎっては投げるようにして語られる体験の数々。うずたかく積もってゆくその言葉の奥底から、時代が変わってもしたたかに生き延びる人間への信頼が染み出してくる。

     平成の終わりとは、やはり一つの節目のようだ。自分の生きた時代を見直す欲動が、文学の上でも高まっている。

    • 福嶋伸洋さん
      福嶋伸洋さん

     気鋭の書き手のみずみずしい作品も目立った。福嶋伸洋さん(39)の「永遠のあとに来る最初の一日」(すばる)は、アルゼンチンの詩人について学び、渋谷のカフェで夜のバイトを続ける大学生が主人公だ。センスの良い音楽や体を動かして料理をすることを愛する年の近い男女が集まった店は、居心地の良い奇跡的な空間だった。

     だが、永遠に続く気がした都会の小さな理想郷は、2001年に米国で起きた9・11同時テロと機を合わせるように変質する。失われた時間に清潔な愛惜を漂わせた。

     藤代泉さん(36)の「波に幾月」(文芸秋号)は、26歳の誕生日を迎えた社会人の男が、大学院を出て離島で1人暮らしをする女性の先輩に会いにゆく。激しい雨が不器用な2人を一瞬近づけた姿を、精神的な混乱を抱えた彼らになりきって荒々しくつづる。

     そのほか、杉本裕孝さん(39)の「将来の夢」(文学界)は、赤ん坊を産みたいと願う少年の物語。粘着質な文章がねばねばとした糸を引いている。(文化部 待田晋哉)

    文学に生きた原民喜の評伝

     広島の原爆の悲劇をつづった小説『夏の花』を残し、鉄道自殺した原民喜たみき(1905~51年)の評伝『原民喜 死と愛と孤独の肖像』(岩波新書)を、ノンフィクション作家のかけはし久美子さんが出版した。

     戦前の軍都だった広島で、軍と取引があった繊維商の家に民喜は生まれた。小さな頃から繊細な性格だったという。上京後、左翼運動に関わって挫折し、女性トラブルを起こして自殺未遂をはかるなど、文学に生きるしかなかったその道のりを紹介する。

     最愛の妻を得て生活が安定したものの先立たれ、その後、広島に帰って被爆する。自身の想念の世界に生きていた民喜は原爆の惨事を体験した瞬間、自分の見聞きした事実を客観的に手帳に書き留め、『夏の花』に昇華させた。最晩年の故人の様子を知る女性の貴重なインタビューも収めている。

    2018年08月02日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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