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    【文芸月評】無機質な社会 生の意味

    紛争、暴力…最暗部にも肉薄

    • 上田岳弘さん
      上田岳弘さん

     加速度的に高度化する現代の資本主義社会で、多くの人間が自分を砂粒のような存在に感じている。小さな私たちの生の意味は、どこにあるのか。今月の文芸誌でまず目に留まった上田岳弘たかひろさん(39)の「ニムロッド」(群像)は、平成末のこの漠然とした不安に向き合おうとした作品だ。

     物語の主人公は、もう若いとは言えない中小のIT企業に勤める男性。彼はある日、会社の余ったコンピューターシステムを使い、ネット空間から仮想通貨を「掘る」ことを社長から命じられる。

     夜中も作動し、無から有を生むように通貨を掘り出すコンピューター。装置を冷やすため回り続けるファンの音。その仕事の傍らで男は、人類が考えた「駄目な飛行機」の歴史を記した先輩のメールを読み続ける。出生前診断で胎児に染色体異常が見つかり、夫と別れた過去を持つ女性との情事を重ねてゆく――。

     金や銀どころか特定の国家の裏づけもない電子データを、仮想の通貨として扱う社会に私たちは生きている。技術が進む傍らで、人間だけが取り残されてゆくような足元のおぼつかなさ。その混乱する人々の内面を、著者は断片を連ねるように描き出す。

     <ただごろりと文章があるんだ。意味なんて知らない>

     進歩の果てに人類がどこに向かうのか確かなことは分からなくても、私たちはただ生きるしかない。息の浅い切れ切れの言葉の合間から、不意に強いものがのぞくとき、黄昏たそがれ色の叙情が濃く匂い立つ。

     自己増殖するようなマネーと人の心のうつろさを扱う文学作品と言えば、株式投資でお金を作るようにもうける男たちを描き、バブル期だった昭和末の1988年に芥川賞を受賞した池澤夏樹さんの『スティル・ライフ』が思い出される。同作とも、上田さんの作品は比較しうる一編だ。

     一方で、無機的に洗練されたように見える社会の薄皮を一枚剥げば、国家レベルでは紛争が絶えず、個人レベルでは深刻な心身の暴力にさらされる人々が存在している。

     砂川文次さん(28)の「戦場のレビヤタン」(文学界)は、自衛隊をやめて海外の紛争地域に「傭兵ようへい」を派遣する民間警備会社に身を投じた男の話だ。イラク北部の石油プラントの警備に彼はあたる。自爆テロなどの危険に満ちた現場での日々を硬質な乾いた言葉で刻む。

     「レビヤタン」(リバイアサン)とは、旧約聖書にある怪物の名だ。世界各地の住民や利権を食い物にし続ける現代の負の社会システムの隠喩でもあろう。命の危機にさらされ、研磨されてゆく男の感覚器を通してこの構造を浮き上がらせた。

    • 内田春菊さん
      内田春菊さん

     作家、漫画家の内田春菊さん(59)の書き下ろし小説『ダンシング・マザー』(文芸春秋)は、養父から性的虐待を受けた少女を描いた1993年の『ファザーファッカー』を母の視点から見つめ直した注目作だ。同性である母が、なぜあの虐待に加担したのか、その心理を探った。

     作中の出来事は、前作と重なる部分が多い。だが決定的に違うのは、九州の方言を使った会話文が多用されることだ。学歴コンプレックスがあり、家の中で気まぐれな暴君のように振る舞う養父の声が生々しい。鼓膜を震わせる陰気な響きは、著者の意図を超え、トラウマ(心的外傷)とは、年月を経ても人間の五感の奥に残ることを伝える。

     砂川さんと内田さんの作品は異なった形で、今の世の中の最暗部に肉薄した。

    • 岸政彦さん
      岸政彦さん

     そのほか、社会学者でもある岸政彦さん(51)の「図書室」(新潮)は、古い団地に住む一人暮らしの中年女性が、母子家庭に育った大阪での子供時代を回想する物語だ。河川敷、猫、図書室しか居場所がない子供の秘密の逃避行……。舌足らずな大阪弁の話し声とともに、寄る辺なき者たちがけなげに生きる姿が、せつない情感を漂わせる。

     覆面作家の舞城王太郎さん(45)も相変わらず元気だ。「群像」に短編「裏山の凄い猿」を発表し、書き下ろし1編を含む3作品を収めた『私はあなたの瞳の林檎りんご』(講談社)をはじめ、先月末から2か月連続で作品集を出した。過剰に真っすぐな作風は健在だ。(文化部 待田晋哉)

    奥泉光さんの小説2冠

     作家の奥泉光さん(62)の長編小説『雪のきざはし』が、柴田錬三郎賞と毎日出版文化賞の2冠を獲得することに決まった。同作は、昭和の陸軍青年将校によるクーデター未遂事件「二・二六事件」前夜の日本が舞台だ。「ルビを多用した固有名詞から立ち上がる香気とリアリティー。読み継ぐとミステリーと戦前の思想史(の要素)を伴ってさらにスケールが大きくなる」。16日の柴田錬三郎賞の贈賞式で林真理子選考委員が絶賛した通り、今年のナンバー1作品との呼び声も高い。

     奥泉さんはこの日の式で、職業作家になるまでには迷った時期もあったと明かし、「時代の持つ波長と自分を同調させる才能はないと早い段階で気づいた」と語った。そのうえで、「自由」に書けるようになるため「小説の歴史、条件を一つずつ確認するようにクリアしてきた」と振り返った。

    2018年12月06日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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