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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・奈良岡 聰智(政治史学者・京都大教授)

    『藤田嗣治 手紙の森へ』 林洋子著

    作品理解に必須の史料

     今や海外を拠点に活躍する日本人アーティストは少なくないが、その道を最初に切り開いた先達の苦労は並大抵ではなかった。油彩画の分野におけるパイオニア藤田嗣治も、そうであった。近年新資料の公開をきっかけとして藤田研究は急速に進展し、日本を飛び出した彼の苦闘ぶりが明らかになってきている。本書は、最新の研究を牽引けんいんしてきた著者が編んだ一冊で、藤田の友人宛の手紙を、多数のカラー写真と充実した解説により紹介している。

     藤田は、絵を「描く人」であると共に、手紙を「書く人」でもあった。一昨年刊行された著者監修の『藤田嗣治 妻とみへの手紙』では、渡仏して間もない彼が、妻に対する愛情、パリ生活に賭ける情熱を赤裸々につづっていたことに驚かされたが、本書で紹介されている手紙の文面も、実に率直である。中でも圧巻なのは、三人目の妻ユキに別れを告げた手紙。藤田が机の中に手紙を残し、黙ってユキの元を去ったことは、彼女の手記によって既に知られているが、手紙の現物が残されていたとは驚きだ。

     藤田にとって「書くこと」と「描くこと」は分かち難く結びついていたようで、本書に掲載されている手紙の多くに絵が添えられている。むしろ絵のほうがメインになっているものも少なくなく、油彩画とは異なる味わいを醸し出している。戦時中の手紙には、戦争画(作戦記録画)を描くにあたっての心境が綴られ、絵のタッチからも戦時色が伝わってくる。戦犯問題をめぐる画壇の対立を示唆する手紙もある。戦後にわれるようにして離日した時期の手紙からは、最後の妻君代への愛情とフランスへのおもいが感じられる。いずれも、藤田の作品を理解するのに必須の史料である。

     今年は藤田の没後五〇周年にあたり、夏からは過去最大級の回顧展も開催される。この機会に「手紙の森」に分け入って、彼の創作に思いをめぐらせてみてはいかがだろうか。

     ◇はやし・ようこ=美術史家。文化庁芸術文化調査官。『藤田嗣治 作品をひらく』でサントリー学芸賞など受賞。

     集英社新書 1200円

    2018年03月12日 05時22分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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