『私の頭が正常であったなら』 山白朝子著

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

『私の頭が正常であったなら』(19日午後4時45分、東京都で)=米山要撮影
『私の頭が正常であったなら』(19日午後4時45分、東京都で)=米山要撮影

混じりけのない悲しみ

 この著者名には見覚えがないという方でも、ミステリーやホラーや青春小説の読者であれば、本書の雰囲気に、ふと一人の作家の名前を思い浮かべるのではないか。その勘は正しい。熱心なファンのあいだでは周知の事実だそうだが、本書の著者「山白朝子」は、『夏と花火と私の死体』や『GOTH』などで知られる作家・乙一さんの別ペンネームなのである。びっくりですよね。でも、職業作家を続けてゆくうちに、それまで自分が創ってきた作風とは違うところで勝負してみたい、新しい筆名で新たな自分を作りたいと思うようになる気持ちはよくわかる。

 とはいえ、本書はまぎれもなく乙一ワールドの作品だ。全八へん、淡いユーモアとファンタジーと恐怖を絶妙に配合した八杯のカクテル。そのベースは蒸留水のように透明で混じりけのない「悲しみ」だ。残念ながら日々社会のどこかで起きている災害や事故や事件――運命の非情や、人間の身勝手な欲望や悪意、愚かさが引き起こす、かけがえのないものの喪失による悲しみ。それを静謐せいひつな言葉でつづり、結末に安易な救いを設けず、失われたものは戻らないけれど、それを悼む私たちの人間性はけっして失われないものだと語りかけてくる。表題作は、別れた夫の手で愛娘まなむすめを殺害され心を砕かれた主人公の女性が、ある不可思議な現象を通して現実のなかへ帰還する姿を描いている。巻頭の「世界で一番、みじかい小説」はライトなゴースト謎解きたんだが、タイトルの由来を読めばここにも大きな喪失の悲劇が隠されていることがすぐわかる。東日本大震災で妻子を失った男の心情を描く「トランシーバー」の悲痛な優しさ。巻末に置かれた唯一の書き下ろし「おやすみなさい子どもたち」にある天上の存在が現れるのは、本書の登場人物たちと、彼らの悲しみを読み通した読者の双方を祝福し、救済を祈るためではないだろうか。

 ◇やましろ・あさこ=2005年、怪談専門誌「幽」でデビュー。著書に『死者のための音楽』など。

 KADOKAWA 1500円

無断転載禁止
14404 0 書評 2018/04/02 05:26:00 2018/04/02 05:26:00 『私の頭が正常であったなら』(19日午後4時45分、東京都で)=米山要撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180326-OYT8I50038-1.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

アクセスランキング

 


東京オリンピックパラリンピックオフィシャル新聞パートナー

ラグビーワールドカップ

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)
ページTOP
読売新聞社の運営するサイト
ヨミダス歴史館
ヨミドクター
The Japan News
発言小町
OTEKOMACHI
ささっとー
元気ニッポン!
未来貢献プロジェクト
YOMIURI BRAND STUDIO
美術展ナビ
教育ネットワーク
活字・文化プロジェクト
よみうり報知写真館
読売新聞社からのお知らせ