『憂鬱な10か月』 イアン・マキューアン著

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「憂鬱な10か月」(25日、社内で)=萩本朋子撮影
「憂鬱な10か月」(25日、社内で)=萩本朋子撮影

知ってはいても……

 主人公の語り手は十ヶ月目の男の胎児。まだ母親のおなかの中にいる。しかし、美貌びぼうの持ち主ながら自堕落な母親が、眠れない夜の暇つぶしに流すラジオをずっと聞いてきたため、世の中のさまざまな仕組みについては、もう完全に把握が済んでいる。宗教テロや地球温暖化のことも、とうに認識済みだ。ワインの味わいがブドウの種類、作り手、年によって違うことも、母親の血流に乗って届く成分と酔い加減とからマスター済み。すでに一家言を有してさえいる。

 そんな胎児に事件が持ち上がる。

 彼を宿している母は現在不倫中。胎児の実の父親を、その大きな家から追い出して占有している。代わりに夜な夜なセックスのためにやってくるのが、不倫相手の男。その男が、土地と家を売り払って財産を作ろう、そのためにも毒を盛って胎児の父を亡き者にしよう、と母にもちかけたのを、胎児は聞いてしまったのだ。

 胎児の実の父は、才能ある若い詩人を無名のうちに発掘して応援してきた教養人。不倫相手は、車と金もうけのことしか頭にない粗野な人物。ことが済んだら、その赤ん坊は余所よそに里子に出してしまえば良いと言う。これは一大事だ。

 世の中のことを一人前に把握しているとは言え、事実上手も足も出ない胎児。しかもその情報収集は、母親が居合わせた場面に限られる。この困った制約の下、作者はどうやって物語を進めるのか? 読者はこの難問の行き先が気になって、読み続けずにはいられなくなる。

 面白いのは、随所に理系のセンスも見られることだ。訳者後書きによれば、これまで作者は物理学や医学を舞台に、徹底取材に基づく小説を書いてきたらしい。本作品の胎児さながら、世の中の森羅万象にアンテナを張ってきたのだろう。しかし一人の個人にできることは限られている。さまざまな問題を知っていながらも、事実上何もできない個人の立場。それが、この作品の暗喩だとみることもできるだろう。村松潔訳。

 ◇Ian McEwan=1948年、英国生まれの作家。『アムステルダム』でブッカー賞受賞。ほかに『贖罪』など。

 新潮クレスト・ブックス 1800円

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30917 0 書評 2018/07/09 05:26:00 2018/07/09 05:26:00 「憂鬱な10か月」(25日、社内で)=萩本朋子撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180702-OYT8I50039-T.jpg?type=thumbnail

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