『少年写真家の見た明治日本』 宮田奈奈、ペーター・パンツァー編

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「少年写真家の見た明治日本」(13日、東京都千代田区で)=高橋美帆撮影
「少年写真家の見た明治日本」(13日、東京都千代田区で)=高橋美帆撮影

未知の社会描写し成長

 明治初期に来日したオーストリアの2人の写真家が撮影・収集した写真のガラス原板が、当時の日本の姿を細部まで伝えていることは既に本紙でも紹介されている(『高精細画像でよみがえる 150年前の幕末・明治初期日本』)。本書は、その写真家のうちの1人、ミヒャエル・モーザーがのこした日記・書簡・回想等を翻訳・集成したものである。

 オーストリア=ハンガリー帝国東アジア遠征隊は1868年にトリエステ港を出発、喜望峰を回って進み、1年かけて日本に到達した。遠征の成果を画像で記録するために選任されたのが、写真家ヴィルヘルム・ブルガーで、その助手として同行したのが15歳のミヒャエルだった。

 ミヒャエルは、航海中の出来事や日本での生活を日記に書きとめ、故郷の家族や恩師の神父あてに手紙を送った。赤道上で迎えたクリスマス、盛装したシャム国王を撮影したこと、中国人の算盤そろばん等々。長崎に着いた時には、港の美しさに感嘆し、「オハイオ」(おはよう)という挨拶や、日本の風俗・通貨・文字・宗教事情のほか、米価の高騰による暴動にまで言及している。オーストリアの寒村で初等教育を受けただけの少年が、はじめて出会う社会を描写する方法が、いきとどいていることに驚かされる。誰かが懇切に説明してくれたわけではなく、注意深い観察と聞き取りによって、情報を的確に咀嚼そしゃくした結果だろう。

 ブルガーの離日後も、ミヒャエルは日本に残ることを選択した。独学で日本語・英語を習得し、写真貼付新聞「ザ・ファー・イースト」のための写真家として働いた後、明治政府に雇用されてウィーン万博・フィラデルフィア万博で通訳を務め、1877年に故郷に帰った。

 貧しいが勤勉な家庭で、愛情深く育てられた少年が、たった一人で人生と対峙たいじしようとする様子は、いじらしくもいとしい。世界を遍歴した少年の成長の軌跡が、多彩な図版とともに鮮やかに甦る。

 ◇みやた・なな=オーストリア国立科学アカデミー近現代史研究所客員研究員。

 ◇Peter Pantzer=ボン大名誉教授。

 勉誠出版 6500円

33629 0 書評 2018/07/30 05:24:00 2018/07/30 05:24:00 「少年写真家の見た明治日本」(13日、東京都千代田区で)=高橋美帆撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180723-OYT8I50035-T.jpg?type=thumbnail

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