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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・朝井リョウ(作家)

    『文字の消息』 澤西祐典著

    日常を浸食するもの

     表題作は、降り積もる“文字”が家や町を埋め尽くしていく様子を、被害の大きな町の住民による書簡体で描いた物語だ。その他、全身が砂糖へと変化する病に侵された母を看取みとる「砂糖で満ちてゆく」、古くから災いをもたらすと伝えられている巨大な船に翻弄ほんろうされる町を描いた「災厄の船」の二編が収録されている。

     崩壊する生活、周囲の人々の変調、的外れな分析や逃げ口上ばかりの有識者――“文字”による日常の変化の描写は、東日本大震災後の日本と重なる。遠い世界の物語だと思っていたが自分の生きる世界の話だった、という感覚は、SF小説がよくもたらしてくれるものだが、今作は物語が描く感情が一度私たちの暮らす社会に寄り添ったのち、再びたった一人のミクロな視点に集約される。そこが、既視感を払拭ふっしょくするようなエモーショナルな感覚を生んでいる。

     終盤、主人公は配達されるかもわからない手紙に亡き息子の記憶をつづる。私はその場面を読みつつ、文章を書くという行為の消息について考えた。生産性という言葉で税金の割り振りが語られてしまう今、誰の空腹も満たせずどの病も治せない小説の存在価値は何なのか。答えのない問いだが、一つ言えることは、生産性がある・ないの二択で人や物を分断することは不可能だということだ。生産性で人の価値を測ること自体ナンセンスだが、その論理にのっとるとしても、生産性があると言われる人が生産性にけた行為を遂行できるのは、生産性がないと言われる人々と共に成す社会が在るからだ。生産性がある・ないと名付けたところで、私たちは分断できない。私たちはつながっているのだ。

     誰に届かなくとも手紙を書く主人公の姿から生まれたこの書評は、著者の意図からはかけ離れた内容かもしれない。だが、一見すると離れているものが実は強く結ばれていることを再確認できたという点で、小説の持つ目には見えない力を存分に思い知った読書体験だった。

     ◇さわにし・ゆうてん=1986年生まれ。2011年「フラミンゴの村」で、すばる文学賞を受賞し、デビュー。

     書肆侃侃房 1400円

    2018年08月06日 05時28分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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