文字サイズ
    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・藤原辰史(農業史研究者・京都大准教授)

    『カルピスをつくった男 三島海雲』 山川徹著

    大陸進出と健康ブーム

     カルピスの創業者三島海雲かいうんの伝記である。大阪府豊能郡の貧乏寺に生まれ、京都西本願寺の僧侶育成機関の文学寮で修行。卒業後の紆余うよ曲折を経て、一九〇一年、北京東文学社主宰の中島裁之たつゆきから、北京の学校の教師を依頼される。その依頼は一旦取り消されるも、大陸勇躍の夢捨てがたく、結局中国へ旅立つ。 

     中国各地で教師をしたあと、中島の勧めもあって日華洋行という企業を起こす。日露の緊張が高まると軍需品を売り、大きな利益を得た。現在の中国内モンゴル自治区で金鉱を探すあいだにモンゴルの自然と人間に魅せられ人生が変わる。東洋史学者の桑原隲蔵じつぞうと出会い旅するのもこの頃。旅で立ち寄った貴族パオ氏の家で乳製品を食べたのだが、その「不老不死の霊薬」は便通を改善し、不眠症を治した。元来蒲柳ほりゅうの質であった三島には衝撃の味だった。

     妻の病気で帰国後、あの味を求めて研究を進め生まれたのがカルピスであった。カルシウムの「カル」と仏教用語の醍醐だいごを意味する「サルピルマンダ」を統合させた「カルピル」という三島の案が、最終的に「カルピス」になった。一九一九年七月七日がカルピスの誕生日。宣伝巧みに大正期の健康ブームに乗り普及する。

     吃音きつおんに悩み、娘二人を病気で失い、虫眼鏡でヘソを焼く健康法を編み出し、ダンヌンツィオやムッソリーニに手紙を出す。豪胆な人生に繊細な一面ものぞく。「初恋の味」というあの宣伝文句が当時公序良俗に反すると警察から申し入れがあった事実も明らかにされる。日清・日露戦争を含む日本の大陸進出という背景が全篇ぜんぺんを覆っていることも重要だ。世界史的にもメチニコフがヨーグルトを長寿に有用と西欧に広めた時代と重なり興味深い。三島から垣間見える歴史は広く、重い。著者自身、内モンゴル自治区まで調査に行き、食べたあの味が、三島海雲の人物像に肉付けを与えている。カルピスの季節にぴったりの旅行記でもある。

     ◇やまかわ・とおる=1977年生まれ。ノンフィクションライター。著書に『捕るか護るか?クジラの問題』。

     小学館 1600円

    2018年08月13日 05時27分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大手町モールのおすすめ
    帆布鞄
    リンク