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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・坂井豊貴(経済学者・慶応大教授)

    『宇沢弘文の数学』 小島寛之著

    善き生存支える「資本」

     没して数年を経た今も、学び手を魅了してやまない巨星、宇沢弘文。数学科の出身だが経済学に転身し、「二部門成長モデル」などで世界に名をとどろかせた。アメリカで活躍したのち日本に帰国、成田空港問題など様々な社会問題に関わったことでも知られている。

     宇沢の学問には「前期」と「後期」がある。大まかには帰国を境目とする。前期の学問は、高度な数理モデルを用いる経済成長論が主である。先日ノーベル経済学賞を受賞したポール・ローマーの研究は、宇沢モデルを大きな礎とする。後期の学問は非数理的だ。宇沢は日本の経済成長が進むとともに、公害が起こり、自然環境が失われていくさまに激しく憤った。その思考を経済学の言葉でまとめあげた『自動車の社会的費用』は、今も読み継がれる名著である。これに代表される後期の学問には「反成長論」のきらいがある。

     本書の著者は、宇沢と同じく数学科出身の経済学者である。著者は二十代の後半に、数学者になるのを断念した。そのときたまたま市民講座で教える宇沢と出会い、経済学を志すようになった。本書には宇沢の学問の読解とともに、親交の思い出がつづられている。また著者は現在の経済学のなかに、どのように宇沢の思想が息吹いぶいているかを語る。

     本書の白眉の一つは、前期と後期の継続性の説明である。宇沢は終生、社会を支える「資本」に深い関心をもち続けた。それは前期には経済成長を複雑な経路で支えるものとして。後期には人間の善き生存を支えるものとして。後期のそれは「社会的共通資本」として概念化された。宇沢はそれには自然環境や学校教育のみならず、金融市場も含まれると考えていた。放埓ほうらつな市場が恐慌の悲劇を招くことを危惧していた。著者はさらに数学も社会的共通資本の一つだと指摘する。であれば本書はまさしくその資本に支えられた作品なのだろう。宇沢の情熱と著者の敬意が、ページの端々から伝わってくる。

     ◇こじま・ひろゆき=1958年生まれ。経済学者、帝京大教授。著書に『文系のための数学教室』など。

     青土社 1800円

    2018年10月22日 05時22分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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