評・藤原 辰史(農業史研究者・京都大准教授)

『戦慄の記録 インパール』 NHKスペシャル取材班著

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

『戦慄の記録 インパール』(22日、東京都千代田区で)=横山就平撮影
『戦慄の記録 インパール』(22日、東京都千代田区で)=横山就平撮影

エリートの不遜さ暴く

 大反響をもたらしたNHKスペシャルの書籍化である。イギリス帝国支配下インドの軍事拠点インパールを目指した陸軍は、結局目的地に到達できぬまま、英軍の攻撃を受け撤退し、三万を超える死者を出した。流量が多く川幅が広いチンドウィン河、急峻きゅうしゅんなアラカン山脈、地面がえぐられるような激しい雨、そして糧食の欠如に阻まれ、若い命がつぎつぎに尽きていった。

『ヒトラーのモデルはアメリカだった』 ジェイムズ・Q・ウィットマン著

 とくに撤退時は阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄だった。手榴弾しゅりゅうだんで集団自決したり、仲間を殺して糧食を奪ったりする日本兵。死んだ若い兵士たちの肉にはうじがわき、それをハゲタカがついばみ、腐ったあとは猛烈な雨が屍体したいを打つ。雨で洗われた骨であふれていた道を、兵士たちは白骨街道と名付けた。元上等兵の望月耕一さんは「殺してね。肉をね、取ってさ、それをまた、ものと交換して、同じ日本軍同士で、そのぐらい落ちぶれた」とつぶやく。兵士たちは小銃を捨てても飯盒はんごうだけは捨てなかった、という。

 本書の最大の読みどころは、第一五軍司令官、牟田口廉也中将に仕えていた齋藤博圀ひろくに少尉の日誌と回想録を発見していく過程である。病院で車椅子に乗って登場した齋藤さんの突然の嗚咽おえつに胸を衝かれた視聴者も多かっただろうが、それにたどり着くまでの取材班の執念には鬼気迫るものがあった。なお、齋藤さんは放映から三ヶ月後に息を引き取ったこともわかった。

 回想録には「五千人殺せば」陣地が取れる、という作戦参謀の言葉があるが、「五千人」とは敵兵ではなく日本兵を意味した。齋藤さんは「幼年学校、士官学校、陸軍大学卒」の「おごり、不遜さ、エリート意識、人間を獣か虫扱いにする無神経さ」を感じたと回想録に記している。

 本書のあとがきでは、この悲劇を現在の自分の状況に置き換えつつ映像をた人が多かったことも記されている。だとするならば、「インパール作戦」とは現代にいたるまで根治できていない、この国の宿痾しゅくあの別名にほかならない。

 ◇ドキュメンタリーは2017年8月にNHKで放送。同12月に完全版、18年4月には続編が放送された。

 岩波書店 2000円

スクラップは会員限定です

使い方
「エンタメ・文化」の最新記事一覧
47400 0 書評 2018/11/05 05:26:00 2018/11/05 05:26:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20181029-OYT8I50055-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込みキャンペーン

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)