評・本郷恵子(中世史学者・東京大教授)

『父より娘へ 谷崎潤一郎書簡集―鮎子宛書簡二六二通を読む』 千葉俊二編

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「父より娘へ 谷崎潤一郎書簡集」(2日、東京都千代田区で)=横山就平撮影
「父より娘へ 谷崎潤一郎書簡集」(2日、東京都千代田区で)=横山就平撮影

文豪ならではの気遣い

 谷崎潤一郎は3度結婚している。最初の妻千代との間に女の子が生まれたのは大正5年で、鮎子と名付けられた。谷崎唯一の実子である。

 だが谷崎は、家庭的な性格の千代を気に入っていなかったという。谷崎と親しく交際していた佐藤春夫が、冷遇される千代に同情し、同情は次第に愛情に変わった。彼らの関係は10年以上にわたってこじれ、その間に3人それぞれが別の恋愛を経験するなど、複雑な経過をたどる。昭和5年にやっと決着して、千代が谷崎と離婚し、佐藤と再婚するむねの挨拶状を知人らに送付した。鮎子14歳の時である。

 これが「妻譲渡事件」としてセンセーショナルに報道されたために、「こんな家庭の娘は預かることが出来ない」と、鮎子は当時通っていた兵庫県の女子校から退学を余儀なくされた。大人たちの行状にふりまわされて少女時代を過ごすのは、さぞ難儀だったことだろう。

 母とともに佐藤のもとに去った鮎子に、谷崎が書き送った262通の書簡をまとめたのが本書である。谷崎の気遣いは、小遣いや学費からはじめて、娘の衣食住全般に及ぶ。パーマネントをかけると髪が傷むのではないかとか、コートの丈が長すぎるとか、細やかを通り越して、鬱陶うっとうしい域に届きそうである。そして「父のことは、父の承認なしに書いてはいけません」、「女書生らしくならないやうに」など、独善的な気配もうかがえる。

 だが太平洋戦争が進むにつれ、手紙の調子は切迫する。昭和19年には「いよいよ東京に空襲の危険迫りたるやうに存ぜられ候」、「差当り(熱海は)東京よりは遥か安全故お前達母子ハきつと御預りいたし候」と決然と述べ、鮎子とその娘百百子を、自分のいる熱海に引き受けようとするのである。

 文豪谷崎潤一郎の父としての姿とともに、その娘であり続けた女性の易しくない人生が、行間から浮かび上がる。

 ◇ちば・しゅんじ=1947年生まれ。谷崎研究者。早稲田大名誉教授。『決定版谷崎潤一郎全集』を編集。

 中央公論新社 2800円

48883 0 書評 2018/11/19 05:25:00 2018/11/19 05:25:00 「父より娘へ 谷崎潤一郎書簡集」(2日、東京都千代田区で)=横山就平撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20181112-OYT8I50007-T.jpg?type=thumbnail

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