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    読売新聞の読書委員らによる書評のコーナーです。
    評・朝井リョウ(作家)

    『フィフティ・ピープル』 チョン・セラン著

    すぐ隣の人たちの日記

     母親の新しい恋人が嫌いな十七歳の少女、全てを手にしたような七十歳の男性医師、試合のため韓国を訪れたナイジェリアのハンドボール選手――年齢も性別も、時には国籍も性的指向も異なる五十一人の主人公たちは、それぞれが語り出す人生同士を軽やかに行き来する脇役にもなる。語り手の多様性が生む“どんな読者をも物語の網で捉える安心感”と、登場人物の交通結節点が大病院であることから漂う“物語全体に密接した生と死の香りによる緊張感”。その両方が共存している連作短編集だ。

     分厚い海外文学となると尻込みしてしまうが、韓国語は日本語と同じ語順ということもあり訳文が読みやすく、かつ、独立して楽しめる短編ばかりなのでどの章からも出入り可能な気安さがある。かと思えば、日常的な場面を唯一無二の決定的な瞬間のように捉える著者独自の鋭い視点がどの章でも発揮されており、油断は禁物だ。美しく鮮やかな文章表現、つんと鼻にくるような心情描写の数々にきこまれるうち、すべての窓が開いている一つの街を空の上から眺めているような感覚に陥る。それは、どんな人の声も平等であること、故に誰にも届かない瞬間があることを思い知らせてくれる。

     日本の二十代男性である私とは人生の背景が何もかも異なる語り手が続いたとて「同じ時代を生きている」感覚が胸に迫るのは、韓国で起きた様々な事件が物語に反映されていることも大きいだろう。労働問題、男性中心社会、粗悪な教育改革、政府による重大事実の隠蔽いんぺい、日々あふれる報道の中どうすればくたびれ果てずにいられるのか、正しく在りたい気持ちを手放さずに生きていけるのか、そんな叫びが聞こえてくるような終盤、もうこれは異国の物語などではなく、今私たちのすぐ隣で笑って泣いて暮らしているその人の日記となる。読後、この時代の本棚を一緒に作ろうと、海の向こうから手を振る著者の姿が見えた気がした。斎藤真理子訳。

     ◇Chung Serang=1984年、ソウル生まれ。2010年に作家デビュー。17年に本作で韓国日報文学賞を受賞。

     亜紀書房 2200円

    2018年12月03日 05時27分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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