『野の春 流転の海第九部』 宮本輝著

無断転載禁止
メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

『野の春』(10日、社内で)=今野絵里撮影
『野の春』(10日、社内で)=今野絵里撮影

生ききった人の最期

 松坂熊吾、愛媛県南宇和の生まれ、昭和43年4月11日、大阪府にて死去、享年71。50歳で、はじめて子を授かり、伸仁と名づけたその子が20歳になるまでは絶対に死ねないと思っていた。著者が自分の父をモデルに、37年かけて執筆した大河小説の完結編である。

 本書は、熊吾が秘蔵の刀剣を売り、伸仁の大学入学のために負った借金を返済するところから始まる。伸仁は新設の追手門学院大学で、アルバイトで学資を稼ぎながら、学生生活を送っている。身体が弱く、成長できるかどうか危ぶまれた子供は、いつのまにかたくましく世間を渡るすべを身につけていた。

 熊吾は魅力的な人物である。そして彼の人生はどこまでも濃密だ。エネルギーにあふれ、人情家で、学歴は無いが洞察力に富み、どうしようもなく衝動的で暴力的でもあった。

 だが、さすがの熊吾も70歳の声を聴いて、パワーが落ちている。さまざまな事業を起こし、成功とどん底を経験してきたが、残ったのは中古車屋一軒だけで、その資金繰りも苦しい。彼の言動は過去と響き合い、人生の伏線を回収する段階にきたことを示している。彼に世話になった者がかける言葉が深い。「大将は私をたっとんでくれたたったひとりの人です」

 対照的に、彼の周りの女たちはとても元気だ。彼にさんざん殴られてきた妻の房江は、ホテルの従業員食堂で働き、生来の能力を発揮している。狸憑たぬきつきとさげすまれていた妹のタネも、ひょんなことから持病が全快して、別人のように明晰めいせきになった。

 彼の最後の仕事は、愛人のためにお好み焼きのソースを試作することだった。それもまたご愛敬あいきょうで、そして息子に謝ろうとして果たせぬまま倒れてしまったのも、宿命の一環だろう。

 平成を通じて紡がれた物語が幕を閉じる。熊吾の葬儀は、桜の花びらの降るなかで行われた。生ききった人の最期はあかるい。

 ◇みやもと・てる=1947年生まれ。『泥の河』で太宰治賞、『螢川』で芥川賞を受賞。2010年、紫綬褒章受章。

 新潮社 2100円

54725 0 書評 2018/12/24 05:26:00 2018/12/24 05:26:00 『野の春』(10日、社内で)=今野絵里撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20181218-OYT8I50038-T.jpg?type=thumbnail

アクセスランキング

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)
ページTOP
読売新聞社の運営するサイト
ヨミダス歴史館
ヨミドクター
発言小町
OTEKOMACHI
元気ニッポン!
未来貢献プロジェクト
The Japan News
美術展ナビ
教育ネットワーク
活字・文化プロジェクト
よみうり報知写真館
読売新聞社からのお知らせ