評・岸本佐知子(翻訳家)

『エリザベスの友達』 村田喜代子著

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時空を超えた眼差し

 結婚してすぐ天津に渡り、敗戦とともに苦労して引き揚げてきた九十七歳の初音さんは、今は九州の有料老人ホームで暮らしている。訪ねてくる娘たちを「誰だこの女」という目で見、名を問われれば「エリザベス」と答え、夕方になると「それではおいとまいたします」とどこかに帰ろうとする、まあ立派な認知症老人だ。

 だがそれはあくまで彼女の外側。動かない表情の内側で、彼女は華やかなりし天津の日本租界の日々を生きている。豊かでお洒落しゃれで、何より女が自由だった、幸せな時代。物語の視点が娘たちから初音さんに切り替わるたび、モノクロの画面が一気に極彩色になるようで、美しくも残酷なギャップにくらくらする。戦時中の内地の陰鬱いんうつと租界の絢爛けんらんの対比は、そのまま初音さんの外側と内側の落差を映すようだ。

 作中繰り返し投げかけられるのは、認知症っていったい何なんだろう、という問いだ。時空を越え肉体を脱ぎ捨て、好きな年齢・好きな場所に戻って生きる老人たちは、ある意味最強の自由人だ。彼らが脱け殻のように見えるのは、もう「ここ」にいないからだ。“乙女さん”は巨大な軍神となって家や畑や国までも守っている。“牛枝さん”は兄弟同然だった馬たちと毎日枕元で語り合う(この馬たちとのシーンは電車で読んではならない。いきなり涙が噴出する)。<もう齢をとった人間は今まで永くこの世で働いた恩典で、いつの時代のどこにでも、好きな所にいていいのだと思えてくる>。そう初音さんの娘は述懐する。介護される側への優しい眼差まなざしが、作品全体をふわりと覆っている。

 読みながらずっと考えていたのは、一昨年他界した自分の父のことだ。父も最後のほうは郷里の丹波篠山にいるつもりになっていて、言動がいろいろとシュールだった。ひどくうろたえたけれど、あれもきっと自由になっていたのだな。あの時に戻っていろいろとたずねてみたいけれど、親は一度しか死んでくれない。

 ◇むらた・きよこ=1945年生まれ。作家。『ゆうじょこう』で読売文学賞。著書に『光線』など。

 新潮社 1800円

59952 0 書評 2019/01/14 05:27:00 2019/01/14 05:27:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20190107-OYT8I50068-T.jpg?type=thumbnail

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