ピアノの近代史 井上さつき著 中央公論新社 2900円

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戦後の成長と共に歩む

評・通崎睦美 木琴奏者

◇いのうえ・さつき=音楽学者。愛知県立芸術大教授。著書に『音楽を展示する』『日本のヴァイオリン王』など。
◇いのうえ・さつき=音楽学者。愛知県立芸術大教授。著書に『音楽を展示する』『日本のヴァイオリン王』など。

 1967年生まれの私は、小学校にあがる前「学習机はいらないから、ピアノが欲しい」と主張した。両親は、本当に机を買わずにピアノだけを買ってくれた。本書によると、ちょうど日本がピアノ大国になった時代である。

 第3次学習指導要領(1958年改訂告示)で、オルガンが小学校1年生から必修となると、鍵盤けんばん楽器は先生が弾くものから生徒が弾くものへと変わる。ヤマハ音楽教室の生徒数は、58年の3千人から61年には12万人へと躍進。メーカーは、訪問販売や月掛予約制度など、ミシンの販売手法を応用して楽器の売り上げを伸ばしていった。ピアノの量産体制も確立され、普及率は74年に1割を超える。

 戦後成長の数字にも驚かされるが、本書の白眉は、明治からの日本ピアノ受容史にある。

 明治維新後、海軍軍楽隊でピアノの伝習が開始されると、国産オルガンが製造されはじめる。1900年には、時計師から転じてオルガン作りを始めたヤマハの創業者・山葉寅楠とらくすが国産ピアノ第1号を製作した。ヤマハは、その後10年で、ピアノ先進国のアメリカに脅威を与えるまでに成長する。良材不足の中、第2次世界大戦後、初めて製造したグランドピアノを「下帯(ふんどし)のゆるんだような音」と評されるが、これを臥薪嘗胆がしんしょうたんの合言葉とし、開発にいそしむ。

 戦後といえば、カワイの従業員が焼け野原で「河合のシロホン」を製造し、生活の糧を得た話も、興味深く読んだ。

 本書は、欧米各国のピアノ作りの変遷にも目を配りながら、ヤマハとカワイがしのぎを削り、世界に認められるまでを明快に記す。

 近代化と共に日本人は西洋音楽に親しみ、そしてピアノを受容した。今、ピアノ販売総数の約95パーセントは電子ピアノである。それを残念とするのは拙速だろう。音色は変わっても、自身の指で音楽を奏でる喜びは多くの人の心に根付いている。

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1160891 0 書評 2020/04/12 05:00:00 2020/04/21 16:05:56 ピアノの近代史=大原一郎撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/04/20200411-OYT8I50032-T.jpg?type=thumbnail

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