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東京で子育てに奮闘する元ヤンママ・アッコさん(27)の口癖の一つが「娘には私のようになってほしくない」。たとえ昔はヤンチャしていたとしても、いま、しっかり子育てをしているのなら、問題ないような気もするのですが……。読売新聞オンラインの人気連載「元ヤン子育て日記@TOKYO」。今回のテーマは、娘に反面教師としてほしい「自分の過去」について。
ママたちの話題は早くも幼稚園選び。さて、どうしよう

「〇〇幼稚園の子はみんなお受験するんだって」
「あそこの幼稚園の制服はカワイイよね」
最近、行きつけの公園でママたちが幼稚園受験の話をしているのをよく耳にする。いや、正確に言えば、この手の話が気になるようになった──のかもしれない。子どもの教育についての話なんて、これまでも年がら年中、交わされているはずだからだ。
幼稚園の話題になるたび、2歳の娘と一緒に面接を受けているところを想像する。
う~ん。やばいかも……。
私は人生において、本格的な受験を経験したことがない。高校(学校区分的には専修学校だけど……)も超テキトーな推薦で入ったし、受験勉強とか面接対策とか、そういうモノが全く分からないのだ。
幼稚園選びについて夫に意見を求めても「なんか教育ママっぽい! 幼稚園はどこでもいいんじゃない? なんとかなるよ」と興味なさげ。
これまで何度も書いてきたことだけど、私は、娘には自分とは違って、真っ当な人生を歩んでほしい。良い幼稚園に行けば、それが
実はこの連載は、あと3回で終わる。元ヤンキーで、ろくに勉強もせず、全身にタトゥーが入っている母の姿は、将来、娘の目にどのように映るだろうか。尊敬してほしいなんて言える経歴じゃないので、せめてダメダメだった私を反面教師にしてほしい。今回は「自分の歴史」を書き残しておくことにする。
「持久走5周」で専修学校進学、就活はハローワーク

私の中学、専修学校時代の思い出話をすると、夫は「どうやってここまで無事に生きてこられたかが分からない」といつも首をかしげる。
信じてもらえないかもしれないが、私は「校庭5周の持久走」で進学した。中1の時から学校をサボりまくっていた私に対し、誰でも入学できる地元のど底辺の学校に推薦書を書く条件として担任に言われたのが、「体育の授業に出て、持久走で校庭を5周走ること」だったのだ。
「こんなことで進学できるの? 超ラッキー」と喜び勇んで走りきった私は専修学校に行っても3年間、全く勉強をせず、遊びほうけた。
でも、卒業間際になって気付いた。
「そういえば就活ってどうするの?」
疑問を担任にぶつけてみると、「えっ、就職する気があったの?」と驚いた顔。あまりにもやる気のない私の姿に、進路指導は必要ないと思っていたらしい。
「もう就活とかいう時期じゃないから、とりあえず、卒業後に自分でやって。タウンワークで求人を見つけて、電話すればいいから」
えっ、マジで? 学校推薦とかないの……?
ショックを受けたものの、卒業して何もしないワケにはいかないし、自分で自由に使えるお金もほしい。とりあえず、ハローワークへ行き、紹介された医療事務の面接を受けると、「じゃあ、来週から来てください」。
意外にも仕事はあっさり決まった。なんとなく安定している仕事だったし、両親も喜んでいた。「人生なんとかなるもんだなぁ」って味をしめたことを覚えている。
甘かった、医療事務の仕事はきつい…1年半で退職

ところが、いざ働きだしてみると、仕事はきつかった。
朝7時半から夜7時まで、ひたすら同じ作業を繰り返す毎日。人手不足から半年ほどで、事務員のリーダー格になったけど、忙しくて遊ぶ暇もないし、男との出会いもほとんどない。なんだか楽しくなくなってきて、色々理由を付けて1年半ほどで病院を辞めた。
その後、半年間は、海外旅行へ行ったり、水商売をやってみたり、アパレル会社に就職して2日で辞めたり。もう自分でも思い出せないくらい、テキトーに働いては辞める、を繰り返した。だって、私は「なんとかなる」と思っていたから。
病院を辞めた時に70万円あった貯金はすぐに使い果たし、お金がなくて困っていたら、元上司から「病院に戻ってきてくれないか」と声をかけられた。両親の勧めもあり、再び病院で働き始めたものの、やっぱり変化のない日常がそこには待っていた。
同棲した男は自称「社長」、実は……

そんなある日、友人から「男がいないならコンパに行かないか」と誘われた。
そこで、私は地元のワルたちと出会い、そのうち1人の男(自称金融業の社長)と付き合うことになった。
最初は、お金持ちに見えた。どこへ行くにも何をするにも、お金を出してくれる。ただ仕事をするだけの毎日だった私には、それが新鮮だった。なんか、ちょっぴり怪しい感じもするけど、羽振りがいいし、ケンカも強そうだし……ま、いっか!
ほどなくして、私はその男の秘密に気付く。実は男には複数の彼女がいたのだ。それも、1人や2人というレベルではない。なんと11人(私調べ)! しかも、彼は、社長でもなんでもなく、ただの「ヒモ男」だった。女に貢がせた金で、他の女に羽振りよく見せる生活をしていたのだ。
それが分かった後、向こうが「
働かない浮気男に金を渡し、帰りを待つだけのどん底生活に
その後はご想像の通り。男は「金がない」と言いだし、私は生活のために昼の仕事を辞め、夜の女になっていた。「金貸して」と言われれば渡し、ただ浮気しているヒモ男の帰りを待つ毎日。まさに「闇金ウシジマくん」の世界だ。

そんな生活が1年続いた頃、男は突如、どこかに消えた。地元で借金を作りまくってトラブルを起こしたらしい。借金取りから「お前が返せ」と脅され、80万円という大金を返すハメになった。
どん底すぎて逃げ道もなければ、助けを求められる相手もいない。「なんとかなる」と適当に理由をつけて、目の前の現実から逃げてばかりいた私の人生は気付けば、完全に「なんともならなく」なっていた。
「心機一転、海外に行こう!」。やけくそになって、そう決心した時、私はたまたま夫に出会った。
あとは、今まで書いてきた通り。私は思いも寄らない形でどん底から抜け出すことができた。
今思えば、夢のよう…人生、何が起こるか分からない
東京で子育てしている今から考えれば、男に
「終わりよければ全て良し」ではないけれど、決してほめられたもんじゃないメチャクチャな青春時代があったからこそ、「あの時よりかはマシ」と家事も子育ても頑張れる自分がいるのも事実だ。人生って本当に何が起こるか分からない。
みーちゃん、あなたは将来、どんな人と出会って、どんな世界を見るのかな?
ママから一つだけアドバイスを送るとすれば、たとえ結果的に「なんとかなった」としても、人生の余計な寄り道はやっぱりシンドイ。だから、これからはたくさんご飯を食べて、いっぱい遊んで、一生懸命お勉強をしよう。
それで「人生、なんとかなる」というワケじゃないけれど、「なんとかなるはず」でどん底を経験した私からすれば、まず、そこから始めるしかないと思えるのだ。
筆者(アッコさん)プロフィル
1993年生まれの27歳。中学時代は「学校がつまらない」と授業をサボり、成績はオール1。その後、私立の専修学校に進学するも不真面目な素行に加え、成績もふるわず、ヤンキーへの道一直線。卒業後、一度は医療事務の仕事に就いたが、遊びたい気持ちを抑えられず退職。職を転々としていたところ、会社勤めをする夫と出会う。都内で夫と2歳の長女と3人暮らし。