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    少子化、核家族化で変わる「家族のカタチ」を紹介する読み物。

    コシノヒロコさん…美意識は祖父から、発想力は母から

    • 「耳に優しい言葉でなく、母は私にひとりで考える力をつけてくれました」
      「耳に優しい言葉でなく、母は私にひとりで考える力をつけてくれました」

     私は初孫。祖父は私がかわいくて仕方なくて、どこにでも連れて行ってくれました。呉服屋は道楽家業というようなところがあり、日本の伝統文化に非常に詳しい人でした。そんな祖父の導きで私は3歳のころから、歌舞伎に文楽、お茶屋の世界にと日本文化の本物に触れていったのです。

     小さな頃の私は、見せられたすべてに興味があって、それをしっかり頭の中にいれて、その情景を、家の前のアスファルトにチョークで描きました。色も、白、赤、青、黄の4色しかないのですが、描いた絵を祖父はもちろん、通行人も褒めてくれる。

     もともと頭の中にあるものを絵に描くことが好きな上に、褒められることでもっともっと描くことが好きになりました。

     絵を描くことだけでなく、絵を見ることや、観劇も好きになりました。お三味線の音を聞くと、今でも理屈抜きで、その音色の美しさに鳥肌がたちます。小学4年生から始めた長唄のお三味線を、いまだに続けています。

     母はビジネスウーマン、商売人です。非常に積極的でどんどん新しい発想をする。そんな性格は、母から引き継いでいます。

     絵を描いていても発想の転換は必要、服づくりも「これ違うな」と思ったらパッと切り替えちゃう。新しいものに目を向け引っぱり出す力が備わっています。

     表現的な個性は祖父から、発想力は母からもらっています。家族のおかげで私は能力を生かせているのです。

     <母親の小篠綾子さんをモデルにしたNHKの連続テレビ小説「カーネーション」では、一家の家族像が描かれ好評を博した。呉服屋に生まれるが、洋裁に興味を持ち、戦前に洋裁店を立ち上げ、戦争で夫を亡くすも、3姉妹を育てた。コシノヒロコさんは小篠家の長女。ファッションデザイナーとしてはもちろん、現代美術のアーティストとして作品の発表も行う>

    濃い個性が生み出される原点は……

     小さな頃に身につけた素養は、一生なくならないもの。私は美意識を祖父から得ました。

     ファッションであっても、モノづくりであっても、頭の中で表現を作っていくのでなく、その人の中から、その人らしいものが出てくる。濃い個性が生み出される原点は、子どもの時に触れた世界。その意味から、私は家族に非常に感謝しています。

     教育は先生に任せておくものでなく、子どもが小さな頃は、常日頃子どもと接触する大人が、たいていの場合は母であることが多いのですが、この子にはどんな才能があるのかを観察して引っぱりだしてあげることがとても大事です。そのことで、子どもは大人に対して深い愛情を感じます。

     <小さな頃から絵を描くことが大好きで、将来は絵描きと心に思うコシノヒロコさんは、母に美大進学を反対され、3姉妹の長女でもあり家業を継ぐよう言われる>

    • アトリエで作品づくりに取り組むコシノヒロコさん(本人提供)
      アトリエで作品づくりに取り組むコシノヒロコさん(本人提供)

     小さいころから絵を描くことが好きで、将来の夢は絵描きさん! 私の個性はハッキリしていたのですが、母はビジネスウーマンですから、「貧乏絵描きはダメ、貧乏だったらどんないい絵を描いてもダメ」とばっさり。

     絵を描くことを否定しているのでなく、絵を描いて生きていくことに反対だったのですね。先見の明があると思います。振り返り考えれば、貧乏絵描きだったらパッとせずいたのではないでしょうか。今の私はなかったでしょう。

     しかも母は「こうしなさい」という指図もしませんでした。「あなたの人生だから自分で考えなさい」と言うのみ。絵は描きたい、貧乏絵描きはダメ、縫製は嫌い……さてどうしようか。高校卒業後1年間、迷いに迷って自分で見つけたのがスタイル画の世界でした。

     雑誌「それいゆ」や「ひまわり」で中原淳一さんの絵を見て、これからの時代は、デザインができなければファッションはできない。絵を描く能力がなければデザインができないのではないかと気づいて、デザインという世界が非常に重要なことに気づいたのです。

     絵というものが生かせるファッションの世界に行こう、これを集中してやろうと決めました。

    若い人のファッションが台頭

    • 母の小篠綾子さんが、大阪府の岸和田で開業したコシノ洋装店(本人提供)
      母の小篠綾子さんが、大阪府の岸和田で開業したコシノ洋装店(本人提供)

     ファッション界はジェネレーションによって変化します。母の時代は、生地を洋服に仕立てるという世界。私の時代は、デザインの世界に変わりました。そして私の子どもの時代になるとマーケティングの世界になっていきました。

     ちょうど私が高校を卒業し社会に出ていこうというあたりから、「週刊明星」や「週刊平凡」をはじめとした、いわゆるファッションを基軸とした雑誌が出てきました。それまでは、そういった雑誌はなかったのです。洋服はデパートのオートクチュールで中年の人のものだったのですが、若い人のファッションというものが台頭してきた。

     母は、こうしろ、ああしろと指図せず、自分で探しなさいと3000円持たせてくれて大阪から東京に送り出してくれました。母は応援してくれたのです。デザイン画をどんどん描いてファッションを生み出していくという、自分を生かす道を見つけられました。それに発想の転換は母譲りで得意です。これと決めて打ち込みました。

    親の自己満足より子どもの成長を

     東日本大震災という大きな地震があり、その後、熊本でも地震があり、絆という言葉が人々の間で交わされ、人と人のつながりの大切さがクローズアップされました。絆の一番のコアになるのが家族だと思うのですね。

     母の「あなたの人生だから自分で考えなさい」というのは、絆とはほど遠い、子どもを突き放したような言葉に思われるかもしれませんが、自分が母になってみると、これほど母親として愛情深く、また実行し難いことはないとわかったのでした。

     我が子が困っていれば手助けし、おいしいものも食べさせてあげたい。そうしたいと思うのが親ですし、すれば満足感もあります。でも、それは親の満足です。

    母がくれた1年間が一生の力に

    • 左からコシノヒロコさん(長女)、コシノジュンコさん(次女)、コシノミチコさん(三女)。ともにファッションデザイナーだ(本人提供)
      左からコシノヒロコさん(長女)、コシノジュンコさん(次女)、コシノミチコさん(三女)。ともにファッションデザイナーだ(本人提供)

     母の愛情をありがたいと思ったのは、私が病気になったときのことでした。

     東京でひとりで暮らし、知らないうちに無理していたのでしょうね、胃を悪くして1年間静養せざるをえない時期がありました。母は大阪に帰ってこずに自分で治しなさいと言う。冷たいように思えませんか。

     そこで私は1年間、毎日30枚のスタイル画を書き続けることをしました。静養中でもできることを考え、描くことを徹底的にしました。私はスタイル画を毛筆で描きます。ほとんどの人がペンで描くので珍しいのです。現代アートで墨蹟(ぼくせき)の作品も制作しますが、筆を自在に扱えるのは、この病気の1年があったからです。

     母に、「病気のあんたが大阪に帰ってくれば、周りは優しくするだろう。だから帰ってきてはいけない」と言われたことで、私は一生の自分の財産となる1年間という時間を得ました。静養中に絵を描くことは自分で考えました。どんな状況でもポジティブでいられるのは母の娘だからです。しっかりと受け継いでいます。

    いざという時、すべてを請け負ってくれた母

    • 講演会で人気を博した70代のころの母・小篠綾子さん(右)(本人提供)
      講演会で人気を博した70代のころの母・小篠綾子さん(右)(本人提供)

     「死んでる暇ないわ」「人生これからや」と晩年も母は前向きでした。母が70代のことです。この親でないとダメという頼もしいことが起きました。

     ある時、翌日、大阪で1000人規模の講演会があるというのに、私がぎっくり腰になってしまったのです。新幹線の移動は無理、であれば飛行機でと航空会社で車椅子の手配までしたのですが、痛くてタクシーにも乗れない。

     母に電話すると「よっしゃわかったわ」のひとこと。私の代わりに講演会の舞台に立ったのです。「コシノヒロコの話を聞きに来たのだ。母親の話を聞きに来たのではない」という声も上がる中、講演のテーマが継承問題だったので「私の方がふさわしい」と講演をはじめ、帰る頃には観客を自分のファンにしました。

     70代で講演に目覚め、スケジュール表を講演会の予定でびっしり埋め、人生を楽しんでいました。いくつになっても子どもたちに対してはライバルだと言っていましたね。

     母の「あんたの人生はあんたのもの。自分で考えなさい」という教えは、少子化で過保護になりがちの今、温かい愛情深い言葉として多くの方に知っていただきたいですね。


     (取材・構成・撮影 水崎真智子)

    <プロフィル>こしの・ひろこ ファッションデザイナー・アーティスト。1937年、大阪府岸和田市生まれ。64年、大阪・心斎橋にオートクチュール(高級仕立て服)・アトリエを開設。78年、ローマの「アルタ・モーダ」に日本人初出展。82~93年、パリ・コレクションに参加。「KHギャラリー」(東京銀座)、「KHギャラリー芦屋」(兵庫県芦屋)で作品を公開。絵画、書など現代アート作品の個展も国内外で開催。デザイナーのコシノジュンコさん、コシノミチコさんは妹。

     ※「家族のカタチ」は今回をもって終了いたします。

    2016年06月28日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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