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    プロレス史に残る事件・出来事の真相に迫ります。

    雪の札幌で長州力を襲撃…藤原喜明<4>

    一番嫌いなのは、「あいつ逃げたな」と言われること

    • 「おれはプロレスラーに認めてもらえるプロレスラーになりたいと思ったんだ」(撮影 岩佐譲)
      「おれはプロレスラーに認めてもらえるプロレスラーになりたいと思ったんだ」(撮影 岩佐譲)

     おれは、他人のことなんか興味ないんだよ。後輩が先にメインイベンターになったって、少しも気になんない。おれはファンに認められようと思ったことは一度もないんだから。

     おれはプロレスラーに認めてもらえるプロレスラーになりたいと思ったんだよ。たとえば、自分がお医者さんだとして、素人さんから「あの先生、いい先生よね」と言われたいと思わない。たくさんいる医者から、「あの先生は腕がいい」と言われるような医者になりたいわけですよ。おれは、おれ。他人のことは、どうだっていいんだよ。そういったおれに、1回だけチャンスが回ってきて、それをつかんだということなんだよ。

     <チャンスというのは、1984年(昭和59年)2月、札幌での長州対藤波戦前に花道で長州力を襲撃し、血だるまにした「テロ事件」を指す。この襲撃で、藤原は「テロリスト」の異名を得て、一躍メインイベンターとして注目を浴びるようになる。ちょうど35歳になる前、入門してから12年目の遅咲きだった>

     あのときは、長州(力)か藤波(辰巳、現・辰爾)のどちらかがけがをしていて、試合ができない状態だったんですよ。当時の人気カードで、ベルトの懸かった試合だし、テレビの中継も入っており、中止にするわけにはいかない。猪木さんがおれに、「乱入しろ」と。おれが、罪をかぶるみたいな形になるんだけどね。まあ、そんな(うわさ)だったけど、本当のところはわからない。

     そうしたらお客さんが勝手に騒ぎだして、おれの名前でも客が入るようになったということ。チャンスをつかんだというより、なりゆきだよな。おれは周りから騒がれるのが大嫌いだから、道場で練習やって、めしが食えるだけで満足だった。だけど、おれでお客さんが入るようになったんだから、しょうがないよな。

     顔を売れることで、いいところもあるけど、めんどくさいところもあるよな。だって、おれはそもそも人嫌いだし、1人でいるのが一番好きなんですよ。コラムとか、小説書いたり、絵を描いたり、盆栽やったり。焼き物やったり。はっきりいって、インタビューも大嫌いだけど、チャレンジだから。ようするに、おれが一番嫌いなのは、「あいつ逃げたな」と言われること。来いと言われれば行くし、しゃべれと言われればしゃべる。

    • 1月4日の新日東京ドーム大会のバトルロイヤルに出場した藤原(photo:若林タカヒデ)
      1月4日の新日東京ドーム大会のバトルロイヤルに出場した藤原(photo:若林タカヒデ)

     藤波とか、長州との仲? そういう質問をよくされるけど、おれたちはみんな一人一人が個人商店主なんだよ。だから、好き嫌いなんかない。好きでもないし、嫌いでもない。だから、会ったら「おぉ、久しぶり」という感じで、一緒に酒を飲む。好きかと言われれば好きじゃないし、嫌いかと言われればそうではない。好き嫌いじゃなくて、お得意様なんだよな。こういう関係はプロレスラーじゃないとわからないかも。前の日、一緒にお酒を飲んで、次の日リングで戦うのはおかしいんじゃないかと言われたりするけど、酒飲んでいるときはプライベートだし、リング上は仕事。それだけのこと。

    あぶなっかしさが魅力だったUWF

     <同じ年の6月、藤原は新日を離脱し、前田日明、佐山聡(初代タイガー・マスク)らとともに新団体、UWFに参戦する>

     あれ(UWF)も(うわさ)では、猪木さんが作ったと言われているけど、あまりよくわからない。正直言って、当時の新日で、「こいつには負けるな」というプロレスラーはいなかったけど、給料は安いわけですよ。「プロはお金で評価される」と思うこともあった。それで、「ひょっとすると、おれは新日本には必要とされていないのかな」と、ちょうどそう思っていたころに、UWFの浦田(昇)社長が家に来て、おれのことをほしいと言うんですよ。「なら必要ですと言ってくれるところにいったほうがいい」と思っただけですよ。おれは、岩手生まれで人付き合いが不器用で、自分から売り込んだことはないからね。

     そうそう、その前に、一度、猪木さんが社長を解任されるという、クーデター騒動があったんですよ。そのとき、おれは大宮スケートセンターの控室で、猪木さんのかばんを広げて待っていたんだ。すると猪木さんがものすごい形相でやってきて、おめえら、どうのこうのと怒ってるんですよ。なに怒ってるんだろう?と不思議に思っていると、おれに向かって「おめえもか」と言うんですよ。おれは、なんのことかわからなくて、「なんのことですか?」と聞くと、「なんの話じゃねえだろ」と。

     あとで聞いたら、社長を降りなかったら試合に出ませんと、ほかの選手らがクーデター起こしていたんです。でも、おれはそれを聞いていないわけですよ。仲間たちからなにも聞かされていないし、猪木さんからも信用されていない。それ以来ずっと「ああ、おれはこの会社に必要ないんだ」と思っていたんです。

     だけど、そのUWFという団体は、佐山とか、前田とか、おれも含めて「おれこそは」というやつばかりだったから、会社としてまとまるわけないよな。そういうあぶなっかしいところが、ファンにとっては魅力だったのかもしれないな。花火は瞬間だからきれいなのと同じで、きれいなものは壊れやすいものが多いんですよ。あれが調和のとれた団体だったら、つまんなかっただろうな。いまUWFとはなんだったかと振り返ってみると、「おれこそは」というやつばかりで、統一がとれていなくて、だからお客さんにとってはおもしろくて、支持してくれた団体だったように思えるな。

     (続く、文中一部敬称略)(聞き手・構成 メディア局編集部 二居隆司)

    <藤原喜明=ふじわら・よしあき>
     1949年、岩手県北上市出身。185センチ、108キロ。72年に新日本プロレス入りし、11月12日、対藤波辰巳戦でデビュー。「神様」カール・ゴッチに師事し、その卓越したサブミッションの技術から「関節技の鬼」との異名をとる。長く前座時代が続いたが、84年2月、雪の札幌で試合前の長州力を襲撃し、「テロリスト」として注目を集める。同年、第1次UWF旗揚げに参戦。団体消滅後、新日本復帰を経て、91年、プロフェッショナルレスリング藤原組を旗揚げ。現在はフリーで活躍している。Vシネマなどへの俳優としての出演作多数。陶芸、盆栽、イラスト、エッセー執筆など多彩な特技を持つことでも知られる。
    2015年01月08日 08時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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