文字サイズ
    プロレス史に残る事件・出来事の真相に迫ります。

    馬場さんに助けられ東京ドーム興行大成功…坂口征二<5>

     平成元年(1989年)に猪木さんから「参院選に出るから、お前社長やれ」って言われてね。そのときは会社の借金が10億あって、興行も冷えこんでる時代だった。

     だけど、俺も肩の調子が悪くて、長州(力)とか藤波(辰爾)とか若い選手も出てきていたんで、引き際かなって思って引き受けたんだ。みんなから「お前、ばかだな」って言われたよ。

    メインイベント消滅でピンチ

     <1989年6月に社長に就任し、翌90年に引退した坂口は、東京ドーム興行に本格的に乗り出し、軌道に乗せていく。武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋の闘魂三銃士の台頭もあり、新日本プロレスの興行は1990年代に最盛期を迎えた>

    • 「社長を引き受けて『お前、ばかだな』と言われました」
      「社長を引き受けて『お前、ばかだな』と言われました」

     1回目の東京ドーム興行は俺が社長になる2か月前。東京ドームは前の年に出来ていたんだけど、社長だった猪木さんが「おい東京ドームでやるぞ」って言い出して、みんな「えっ」てなった。そのころは両国国技館が満員にならなくて、後楽園ホールも半分しか入らない状況だよ。なんとか、やったけど大変だった。ソ連の選手が出場することが売りで、ソ連まで行って教えたんだけど、動きがぎこちなくて(笑)、話題にはなったけど、続かなかった。

      俺が社長になってからの2回目は俺も猪木さんも出たし、北尾(光司)のデビュー戦もあったけど、目玉はアメリカから凱旋帰国したグレート・ムタ(武藤)とリック・フレアーの対決。ところが直前になって2人とも参加できなくなってしまった。

     困っていたら社員が「馬場さんに選手を貸してくれるように頼んでもらえませんか」と言ってきて。断られてもともと、と思って連絡とって事情を話したら「ああいいよ、おまえの社長就任祝いだ」って言って(ジャンボ)鶴田や天龍(源一郎)、三沢(光晴)とか5人くらいが出場してくれることになった。発表したら2日か3日で残ってる切符が全部売れた。あれから、東京ドーム興行に勢いが出て行ったね。

     馬場さんは石橋をたたいて渡るタイプで、猪木さんとは正反対のタイプ。おれは日本プロレスのときに馬場さんの弟分みたいにしてたし、よく一緒に遊んでた。

     東京ドームの件の何年か後に、俺が間に入って猪木さんと馬場さんを会わせたこともある。プロレス界の現状について2人とも懸念してて、コミッショナーを作ろうという話になって、お互いの弁護士も呼んで話し合うところまで行ったけど、第三者が介入してきてね。2人の思い通りにならず「やーめた」ってなった。

    格闘技ブームに押されて

     <99年に藤波が社長に就任し、坂口は会長に。しかし、このころからK-1、PRIDE(プライド)などによる格闘技ブームが盛り上がり、プロレス人気は下降して行く>

     俺が社長をやめた頃までは興行成績がすごくよかったよね。だけど、プロレスラーがK-1とかプライドに出て行って負けてしまってから、ファンが引いていった。昔はK-1の選手がうちのリングに来て試合してたんだけど。プロレスのいいところだけ取っていったのがK-1だよ。

     でも、なんだかんだ言ってプロレスは歴史が長い。プロレスラーは昔より大勢いるんだよ。昔は選ばれた人だけがやるものだったけど、今は40くらい団体があるから、レスラーと名のつく人が500人いるっていうんだよ(笑)。プロレスだけで飯食えるのは100人いないよね。でも、うちの長男がDDTという団体でやってるんだけど、そこの連中なんか「僕はここのプロレスが好きで好きでたまらないんです。大きな団体にも誘われますが、ここでやっていきます」っていうんだよ。そういう、ちゃんとしたプロレスをやっている団体はいいんじゃない。「ここまでやるかな」って同情するような団体もあるけど。

     今の動きが速いプロレスと比べると、おれたちがやってたころは力強さはあったけど、楽と言えば楽だった。首や腕とって5分ぐらい締め上げて……今やったらお客が「起きろー」って言うよ(笑)。でも、昔のお客さんはじーっと見てたんだからなあ。

    61歳で再びリングに

     <興行を支えるため2003年9月、61歳の坂口は11年ぶりにリングに上がる。セコンドには人気俳優の次男・憲二がつき、会場を盛り上げた>

    • 「もう一度、5大ドームツアーくらいやりたいね」(撮影 高梨義之)
      「もう一度、5大ドームツアーくらいやりたいね」(撮影 高梨義之)

     あれは営業にかつがれて、やらざるをえなかったんだよ。まあ、ちょうど売り出し中の憲二が「おやじ、俺もやるよ」って言ってくれて。長男も来てくれてね。おかげで、テレビも芸能番組でたくさん取り上げてもらえた。ああいう話題づくりも大切。普段はプロレスを見ない人にも興味をもってもらえるようにしないとね。

     何週間も前から体作って色を黒くして、巡業についていったんだけど、久しぶりでワクワクした。試合は最初だけバーッとやって、あとはバテてね(笑)。お客は、すごくわいたよ。そのあと10月の東京ドームでもかつぎ出されて、ボブ・サップとやったけど、あれは余計だったな。3回目も出てくださいとも言われたけどさ(笑)。何でもかんでも、というわけにはいかないから断った。

     今は相談役って肩書もらってるけど、口は出さないよ。大きい試合は見にいくんだけど、みんな一生懸命やっているのはわかるね。俺はよその団体の試合もみるけど「違うな」って思う。「俺たちのプロレスはこうだ」というのが伝わってくる。会社と選手の両輪がうまく回転しているのが、試合を見ても雰囲気をみても伝わってきます。

     山あり谷ありで、興行はここのところすごく上向いている。でも、一番いいときは東京ドームを年6回やってたわけだから。今は1回やるのがやっと。夢よもう一度じゃないけど、5大ドームツアーくらいやりたいね(笑)。(終わり、文中一部敬称略)(聞き手・構成 メディア局編集部 伊東謙治)

    <坂口 征二=さかぐち・せいじ>
     1942年、福岡県久留米市生まれ。196センチ、125キロ。明治大学、旭化成などで柔道選手として活躍し、全日本柔道選手権では65年に優勝、同年の世界選手権で銅メダルを獲得。67年に日本プロレス入りし、ジャイアント馬場と「東京タワーズ」を結成し、1972年にインターナショナル・タッグ王座を獲得。73年4月に新日本プロレスに移り、WWF北米ヘビー級王座やアントニオ猪木などとのコンビでNWA北米タッグ王座などを獲得。89年6月、新日本プロレス社長に就任。90年3月に現役引退。その後、同社の会長、CEOなどを歴任し、現在は相談役。次男の憲二さんは俳優として活躍。
    2014年09月05日 08時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大手町モールのおすすめ
    帆布鞄
    PR情報
    大手町モール
    ブランディア
    アーカイブ