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    プロレス史に残る事件・出来事の真相に迫ります。

    痛みが身にしみた天龍チョップ…神取忍<4>

    • ふだんはにこやかな表情だが、リングに上がると一転、勝負師の鋭い眼光に変わる神取(撮影 岩佐譲)
      ふだんはにこやかな表情だが、リングに上がると一転、勝負師の鋭い眼光に変わる神取(撮影 岩佐譲)

     LLPWを立ち上げたときに、道がないところに自分たちで道を作っていかないと勝ち目はないと思ったのです。プロレスだけをやっていても、勝ち目はない。

     もちろんプロレスを否定するわけではなくて、プロレスを通じて新しい道を作っていくというのがLLPWの理念なのです。そういう考えで、異種格闘技戦にも積極的に取り組んでいきました。

     <1995年に女子初の総合格闘技「L1」の1回目が開かれ、神取も参加する。順調に勝ち上がり、決勝戦に進出。相手は、その前年に柔道のロシア国際72キロ超級で優勝したグンダレンコ・スベトラーナ。身長193センチ、体重はゆうに100キロを超える現役ばりばりの柔道選手だ。その決勝戦で、神取はプロレスラーになって初めてギブアップ負けを喫する>

     タップした(ギブアップした)のは初めてのことでした。3カウント入って負けたことはあっても。もちろん、自分の中では、勝てるという絶対的な自信がありました。それで、自社主催の興行で優勝賞金200万円を出すことにしたのです。どうせ優勝して自分のところに戻ってくるのだから、構わないと。赤字になっても、それで補填(ほてん)すればいいや、というぐらいの気持ちですよ。

    ところがそれで負けてしまいましてね。初めてギブアップ負けをくらうわ、優勝賞金は外部の選手に持っていかれるわで、まさにダブルパンチですよ。そうなることがわかっていたら、現金ではなくて、清涼飲料水1年分とか物で済ませばよかったと、あとで後悔しました(笑)。

     とにかく相手は体が大きいのです。元横綱の北尾さんとほぼ同じサイズです。ジャブなんかを放っても、全然届かない。それでリングを金網で囲ってオクタゴンにしたのです。するとどこにも逃げるところがないのです。だっと押し寄せられて、つぶされて、技でもなんでもありませんよ。苦しくて圧死寸前です。それで、心の中で「絶対タップしないぞ」と思っていながらタップしてしまったのです。そこが気持ちの弱いところなのでしょう。もう屈辱以外のなにものでもありませんでした。

     それで絶対リベンジしようと、2回目の大会に参加するのですが、北尾さんに協力をお願いしましてね。サイズが同じなので、仮想スベトラーナということで、柔道着を着てもらい、スパーリングの相手をしてもらいました。要所要所で約半年間、練習の相手をしてもらい、次の戦いでなんとかリベンジし、優勝することができました。

    ただ一人褒めてくれた藤原喜明

     <そうした異種格闘技戦で大きな武器となったのが、“関節技の鬼”藤原喜明直伝の関節技だった>

     藤原(喜明)さんとは、なにかの取材がきっかけで知り合いになって、いろいろ教えていただくようになりました。ジャッキーさんとの試合で、周りはみんな大批判で「お前はプロ失格だ」などと言われた中、ただ一人「お前はよくやった」と褒めてくれたのが藤原さんでした。

     その試合の後、しばらくリングに上がっていない時期があり、その時期に藤原さんの道場でスパーリングの相手をしてもらったのです。柔道は基本上半身だけで、足を使った技はほとんどありませんからね。アキレス(けん)固めのような足技や脇固めのような、柔道にない技をいろいろ教わりました。

     とにかく、藤原さんは上手(うま)いですし、強いです。目隠ししてもらってスパーリングしても勝てないのではないかと思います。決まるか、決まらないかは、ほんの数ミリの違いの世界なのです。寿司(すし)職人がにぎりを握って、どれも米粒の数が同じなような感じです。いざ決めるとなると、寸分の狂いもなく決めるのです。こと関節技に関しては、頭で考える前に体が動いているのです。

     ジャッキーさんとの試合のあと、そのように没頭できるものがあって、よかったなと思っています。妙な雑念なしに、関節技の習得に没頭できました。おかげで、自分の財産として、関節技については譲れませんよ、という自信も付きましたし。

     <“異種”だけでなく、“異性”との試合も経験した。2000年7月に行われた、あの天龍源一郎との一騎打ちだ>

    • 藤原直伝の関節技が神取の強さを支える (c)関根写真事務所
      藤原直伝の関節技が神取の強さを支える (c)関根写真事務所

     天龍さんとは、最初タッグで試合をして、「この人、すごい」というのがあって、どうせならシングルでやってみたいという気持ちが生まれたのです。何といっても、ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんの2人からフォールを奪った唯一の日本人レスラーですからね。

     とにかくオーラがスゴイのです。リングに立った瞬間のオーラ全然違うのです。女性のレスラーには、あのオーラを出せる選手はまずいないと思います。

     それで当時団体の社長だった風間ルミに頼みに行ったら、「かんちゃん、自分で言いにいきなよ」と。風間が言うには、天龍さんのような人には、回りくどいことをするより、直接気持ちを訴えた方がいいよと。それで会場に行って、直接天龍さんに気持ちを伝えたのです。

     そうしたら天龍さんは、あの独特なかすれた声で「お前どうなってもいいのか?」と聞くので、「大丈夫です。よろしくお願いします」「じゃあ、わかった」ということで実現したのです。

     試合はラウンド制で行い、2ラウンドにセコンドがタオルを投入して、TKO負けでした。リングの上だと、たとえ骨が折れていてもアドレナリンがあふれ出ているので、痛みは感じないものです。痛みを感じるのは、試合が終わったあとの夜とか次の日です。ところが、あのときは、何発も蹴りとチョップとパンチを打ち込まれたので、最初のうちは大丈夫だったのが、そのうちほんと痛くなってきましてね。もう、「痛みが身にしみます」という感じなのです(笑)。セコンドももっとはやくタオルを投げ入れろよなと。天龍さんの愛を感じましたね。

     試合の結果には納得できないのですが、あれ以上やっても同じだよなという思いもありましたね。それと、あれだけ顔が腫れると、もう怖いものがなくなります。

     ただ、あれだけの腫れだと眼底骨折とかしているかなと思ったのですが全然問題なくて、4日ぐらいしたら腫れもひいてきたのです。自分としては、「それだけすごい試合をしたのだよ」と、いい宣伝になるなと思っていたのに、拍子抜けで「なんだか、がっかりだよ」という感じでしたね(笑)。(続く、文中一部敬称略)(聞き手・構成 メディア局編集部 二居隆司)

    <神取 忍=かんどり・しのぶ>
     1964年、横浜市生まれ。170センチ、75キロ。83年から全日本選抜柔道体重別選手権3連覇。84年、世界柔道選手権3位。86年、ジャパン女子プロレス入団。その後、フリーランスを経て、92年のLLPW(現LLPW-X  http://llpw-x.com/ )の旗揚げに参戦。90年代に全日本女子プロレスなどとの他団体対抗戦で壮絶ファイトを繰り広げ、「ミスター女子プロレス」「女子プロレス最強の男」の異名を得る。2004年7月の参議院選挙に自民党から比例区で立候補し、06年9月に繰り上げ当選。10年7月まで任期を務める。10月11日、両国国技館にて、生誕半世紀イベント「SUPER LEGEND~伝説から神話へ~」を開催する。当日の神取選手の対戦相手を現在公募中。こちら http://llpw-x.com/legend/
    2014年08月07日 08時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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