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    プロレス史に残る事件・出来事の真相に迫ります。

    小鉄さんに認められ新日入団…グラン浜田<1>

    ポーゴの付き添いでプロレス団体へ

    • 「体が小さかったので、プロレスラーになることは考えませんでした」(撮影 笠井智大)
      「体が小さかったので、プロレスラーになることは考えませんでした」(撮影 笠井智大)

     出身は群馬県の前橋市で、高校は樹徳高校(桐生市)。子どものころは、とくにやんちゃではなかったと思います。

     ただ、小学校の1年生のときから柔道を始めた。地元で町相撲をよくやっていて、優勝すると賞品がもらえるのですよ。それが欲しくて。柔道を習えばもっと強くなれると。相撲を教えてくれるところはなかったのです。人を投げるのが楽しかったですね。当時も体は小さかったです。ただ、負けん気は強かった。投げられるのはいやだけれど、投げるとうれしい。柔道に夢中でした。

     <お待たせしました。久しぶりの「プロレス・レジェンド再探訪」は、多くの方からリクエストをいただいたグラン浜田にご登場いただく。日本に本格的なルチャリブレを紹介した「小さな巨人」。その闘志あふれる半生を、子ども時代から順を追って語ってもらおう>

     高校生のころは、将来の夢とか希望とか、なにも考えていませんでしたね。ただ、柔道を続けたかった。幸い、中学3年のときに関東の大会で優勝、高校3年のときに県の学年別の大会で優勝するなど、実績を残していた。それで、高校を卒業後、浜松の河合楽器の柔道部に入ったのです。

     ところが肝臓を悪くして、黄疸(おうだん)が出たので辞めて故郷の前橋に戻ることになった。浜松にいたのは1年くらいですかね。それで1年ほど療養して、体が元に戻ったのでまた柔道の練習を始め、群馬で優勝して国体に出たのです。

     ちょうど同じ時期に群馬で柔道の大会に出ていた選手に、関川(哲夫、のちのミスター・ポーゴ)がいて、やつが「プロレスラーになる」と言うので、「じゃあ、おれが車で送っていってやるよ」と一緒に東京に出たのです。おれの場合は、体が小さいので、プロレスラーになろうなんて気持ちはまったくないわけですよ。彼がいなければ、プロレスラーになっていなかった。

     ただ、プロレスは好きでしたよ。力道山から始まって、(アントニオ)猪木さん、(ジャイアント)馬場さん……。個人的にだれのファンというのはなかったけれど、試合そのものは猪木さんが一番おもしろかったですね。

    実家に連絡せず、あやうく捜索願が…

    • 現役時代のグラン浜田。体は小さくても闘志でそれをカバーした(本人提供)
      現役時代のグラン浜田。体は小さくても闘志でそれをカバーした(本人提供)

     それで2人で最初、日本プロレスの事務所に行きました。すると(グレート)小鹿さんが出てきて、「裸になれ」と。「おれは関係ないのだけどな」と思いながら、関川と一緒に裸になると、「いい体しているけれど、小さいからな」と言うのです。

     関川は当時から体が大きくて合格だったのですが、彼は気が弱いので1人で入団したくない。それで2人で入れるところをと、次に代官山にあった新日本プロレスの事務所に行ったのです。ちょうど会社が設立されて、旗揚げ前のころで、こちらは(山本)小鉄さんが出てきて、「おれも体が小さくてもプロレスラーをやっている。やる気があるなら、やってみないか」と言う。その一言で、「ちょっと待てよ。プロレス、やってみようかな」と思って入団することになったのです。

     <入団が決まり、即その日から世田谷の野毛にある新日本プロレスの合宿所に入れられる。合宿所の一番先輩が、藤波辰巳(現・辰爾)で、ほかには浜田、関川、もう1人の若手と合わせて4人での生活が始まった>

     自分は最初入団するつもりはなかったので、着のみ着ままで、あと乗ってきた車があるだけです。当時、新日本は会社を立ち上げたばかりで、旗揚げもしていない。宣伝カーもないわけですよ。それで、おれの車が使われることになったのです。買ったばかりのニッサンのチェリーで、1年後、返してもらったときには、ぼろぼろになっていましたよ。いま考えると、おれじゃなくて、ほんとはこの車が目当てだったのじゃないかな。

     両親には、なんやかんや言われるのが嫌で、2週間くらい連絡していなかったのです。「仕方ない。やはり連絡しておかなければ」と思って電話したら、行方不明者として警察に捜索願を出す寸前でした。

     (続く、文中一部敬称略)(聞き手・構成 メディア局編集部 二居隆司)

    <グラン浜田=ぐらん・はまだ>
      1950年、群馬県前橋市出身。本名、濱田廣秋。167センチ、90キロ。72年、新日本プロレス入団。同プロレスの旗揚げシリーズ中の同年3月16日、対藤波辰巳戦でデビュー。75年、メキシコに海外修行。UWAでリンピオ(善玉、ベビーフェイス)として活躍し、同団体のウェルター級、ミドル級、ジュニアヘビー級、ライトヘビー級の各シングルベルトを獲得し、4冠制覇。長州力とのコンビで同タッグベルトも獲得。79年2月に凱旋帰国。以後、約20年にわたり、日本とメキシコのマットを往復し活躍。84年、第1次UWFに参戦するも、すぐに離脱。同年、全日本プロレスに移籍。90年、ユニバーサル・プロレスの旗揚げに参加。95年日本に帰国、みちのくプロレスに入団。現在はフリーの立場で、リングに上がっている。娘の浜田文子も女子プロレスラーとして活躍中。
    2015年06月22日 08時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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