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    プロレス史に残る事件・出来事の真相に迫ります。

    猪木さんが馬場さんに漏らした一言…渕正信<4>

    引き分け試合でも魅了できるプロレス

    • 全日本プロレスの仲間たちと(全日本プロレス提供)
      全日本プロレスの仲間たちと(全日本プロレス提供)

     2人の話によると、会場の東京体育館は超満員。ただ試合の展開はとてもシンプルなものだったそうです。それでも、ルー・テーズによると「とても観客の反応はよかった」といいます。

     1本目は、ヘッドロックの応酬で、最後は馬場さんがルー・テーズにヘッドロックをかけたまま、寝そべる形でフォールに入り3カウント。2本目は、必殺技のバックドロップでルー・テーズ。3本目は、ルー・テーズがバックドロップをかけようとしたところを馬場さんがコーナーを足で蹴って、2人で倒れこんだところをフォールし、3カウントだったそうです。いまはそういったシンプルな試合は珍しいですよね。

     実は、日本人選手で、60分フルタイムの引き分けが一番多いのが馬場さんと言われています。全盛期のスタミナはすごかったんですよね。考えてみれば、四の字固めが特技だったデストロイヤーや元NWA王者ジン・キニスキーとの死闘もそうだし、(アントニオ)猪木さんにしても、名勝負と言われているのは、ドリー・ファンク・ジュニアやビル・ロビンソンとの時間切れ引き分け試合ですよ。

     野球やサッカーでは、引き分けだとお客さんはストレスが残りますが、プロレスでは必ずしもそうではない。それがスペクタル・スポーツとしてのプロレスのすごさ、プロレスの魅力なのです。

     アメリカ遠征の話をする時の馬場さんは、ほんと目を輝かせていましたね。アメリカではトップレスラーで、ギャラも破格でしたが、力道山亡きあと、日本のプロレスを背負って立てるのは、馬場さんしかいなかった。力道山のあと、会社を継いだ豊登さんや芳の里さん、吉村道明さんは、いずれも元相撲取りで、力道山との関係を考えると、彼を超えることができない。

     ところが、馬場さんは体が大きいので、大柄な外国人選手と互角に渡りあえる。力道山時代のように、小さな日本人が大きな外国人をやっつけるという図式ではなくて、馬場さんは外国人相手にスケールの大きい試合ができる。それまでの価値観をひっくりかえした。馬場さんらしい、スケールの大きい、力道山時代とは違ったプロレスを見せることができたので、プロレスブームが続いたのだと思います。

    プロモーターとしても一流だった馬場さん

     選手としてだけでなく、プロモーターとしても一流でした。アメリカで、一流のプロモーターを目の当たりにして学んだんでしょうね。ビジネスの感覚もありました。選手との約束は必ず守りました。それが一番大事なことなのですが、守れないんですよね。そこが一流のプロモーターとそうでないプロモーターの差です。

     よくライバル関係ととりざたされる猪木さんとのやりとりで忘れられない1シーンがあります。昭和54年(1979年)の夢のオールスター戦で、8年ぶりにBI砲が一夜限りで復活した日のことです。控室の2人の周りに、たまたま数人しかいなくて、そういった場面で気を許したのか、馬場さんと猪木さんが談笑しているのです。猪木さんが「おれ、ゴルフうまくならないんだよな。おれはダメだ」と言うのに対して、馬場さんが「ジャンボ(尾崎)も前はダメだったけど、いまはおれより上手(うま)くなったから」と慰めているんですよ。その光景を見て、結局周りがぴりぴりしていただけで、2人の間になんのわだかまりもないんだと思いましたね。

    馬場さんの還暦試合でフォール負け

     <1月31日は、ジャイアント馬場の命日にあたる。馬場は亡くなる約1年前の98年1月23日、自身の60歳の誕生日に還暦記念特別試合を行う。6人タッグの対戦相手として戦った渕は、最後に馬場のネックブリーカードロップでフォール負けを喫する>

     記念の試合で対戦させてもらえて、大変光栄でした。後楽園ホールが超満員で、馬場さんが「おれが先に(試合に)出る」と前のめりになったんですよね。それに対して、川田(利明)も小橋(建太)も遠慮なくいく。それに対して、ぼくはどうふるまっていいのかって。2人のチョップの連打を馬場さんは受けて立った。馬場さんの(すご)みを感じましたね。結局、ぼくからフォールを奪ったネックブリーカードロップが、生涯最後のそれになってしまった。

     (レフェリーの和田)京平ちゃんから、泣きながら電話があり、馬場さんが亡くなったことを知りました。病状を詳しく知らされていなかったので、まさか亡くなるとは思ってはいませんでした。タクシーで恵比寿の馬場さん宅に駆けつけましたが、ご遺体に対面しても、寝ているようで、涙が出たり、悲しかったりという気持ちではありませんでした。

     そういった感情になったのは、日本テレビの追悼番組の収録を終え、ラッシャー(木村)さんらと酒を酌み交わし、思い出話をしていたときでした。互いに酒を飲みながら、「ああ、馬場さんはもういなんだなぁ。むなしいな。せつないな」と言い合ったものでした。

     (続く、文中一部敬称略)(聞き手・構成 メディア局編集部 二居隆司) 

    <渕正信=ふち・まさのぶ>
     1954年、福岡県北九州市出身。183センチ、105キロ。74年4月10日、全日本プロレス入門。同22日、対大仁田厚戦でデビュー。80年代後半、世界ジュニア王座を5度、戴冠。第10代王者時代には14度の防衛を重ねるなど、ジュニアヘビー級で一時代を画する。全日本プロレス一筋で、2014年1月、還暦記念特別試合を、同3月にプロデビュー40周年特別記念試合を行うなど、現在も現役で活躍中。公式ブログ「 酔々ブルース
    2016年01月28日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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