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    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    三木武夫「信なくば立たず」

    クリーン政権 施しの心

    信なくば立たず(三木武夫の座右の銘)

    • 桜が咲き誇る八番札所、熊谷(くまだに)寺の参道を、外国人のお遍路さんらが歩く(徳島県阿波市土成町で、3月6日撮影)
      桜が咲き誇る八番札所、熊谷(くまだに)寺の参道を、外国人のお遍路さんらが歩く(徳島県阿波市土成町で、3月6日撮影)

     1974年11月、当時の首相、田中角栄は金脈問題で辞意を表明する。後任の自民党総裁選びは難航した。大平正芳、福田赳夫たけお、三木武夫、中曽根康弘らが意欲を見せる中、党副総裁の椎名悦三郎に一任される。

     翌月、「椎名裁定」で選ばれたのが三木だった。三木の母校、明治大の政治経済学部長、小西徳応とくおうさん(58)は「小派閥の長を選ぶのは異例。政治とカネの問題で国民の不満が高まり、『クリーン三木』しかいなかった」と話す。

     三木の座右の銘は「信なくば立たず」だった。民衆の信頼がなければ、政治や社会は成り立たないという意味に解釈していたようだ。小西さんは「三木は若い頃から『民』や『信』という言葉をよく使っていた。そんな国民本位の政治姿勢が総理・総裁の椅子を結果的に引き寄せたのでしょう」と語る。死後、睦子夫人が出版した回想録の題名も「信なくば立たず」だった。

     三木がいつ頃から、何をきっかけにこの言葉を座右の銘としたのかはっきりしないが、長男の啓史ひろふみさん(72)は「昭和43年(1968年)の支持者を前にした集まりだったか、その頃からよく使い始めたと思います」と振り返る。

    • 動画は写真をクリック
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     漢学の素養があっただけに論語からとったのはうなずける話だが、信心深かった母、タカノの影響を受けたという見方もある。

     三木が生まれた徳島県阿波市土成どなり町にある三木家の菩提ぼだい寺・神宮寺の住職、荒尾智章ちしょうさん(70)は「タカノさんは皆が貧乏な戦後間もない頃、家にやってきた人たちに食べ物から着るものまで何でもあげたと聞きます」と話す。

     同町には空海が開いた四国八十八か所の札所が3か所もある。真言宗が根付いた土地柄で知られ、歩き遍路に住民が駆け寄って食べ物を渡す「お接待」は今でも見られる。「仏の心が母から武夫先生に受け継がれ、それが後に民を大事にする政治につながったのだと感じます」

     タカノは「肌着がなくて困っている」という人に、自らが着ていたものを脱いで渡すこともあった。名言の陰には、困窮した人を思いやる施しの心があったのだろう。(文・西條耕一 写真・吉岡毅)

    三木武夫
     1907~88年。 徳島県 御所 ごしょ 村(現・阿波市土成町)生まれ。元首相。37年、30歳で衆院議員に初当選して以来、連続当選19期。「議会政治の子」と呼ばれ、衆院在任期間は51年。「信なくば立たず(無信不立)」は「政治にとって最も大切なことは何か」と弟子に聞かれた孔子が「軍備を整えるのでもなく、食糧を満足させることでもなく、人々が政治に信をおくようでなければならない」と答えたとされる故事の解釈から。小泉純一郎元首相、安倍晋三首相らも好んで使う。

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    2017年03月27日 09時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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