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    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    星野哲郎「はるばるきたぜ函館へ」

    男の物語 仕立て直し

    はるばるきたぜ函館へ(「函館の女ひと」より)

    • 函館山から眺める市街地。息をのむほど美しい夜景が眼下に広がる(北海道函館市で)
      函館山から眺める市街地。息をのむほど美しい夜景が眼下に広がる(北海道函館市で)

     かつて別れた恋人を捜し函館に戻ってきた男の姿を描いた歌詞が、勇壮な旋律に乗る。1965年に北島三郎さん(80)が歌い大ヒットした「函館の女」は、作詞家の星野哲郎にとっても代表作となった。

     「でも、元の歌詞は函館ではなかったんですよ」。星野作品を管理する「紙の舟」事務局長の広瀬哲哉さん(76)はこう語った。北島さんの62年のヒット曲「なみだ船」を作詞した星野は、「また北島さんの曲を手がけたい」と、ディレクターに話したところ、「次の新曲『北海道恋物語』のB面を頼む。北海道ものなら何でもいい」ということになった。星野は書きためていた作品の中から、「東京の門」を選び、歌詞を手直しして「函館の女」に改作した。

     しかし、一から書きおろさず、なぜストックから引っ張り出してきたのか? 「紙の舟」が保管する「東京の門」の原稿を見せてもらった。「はるばるきたぜ東京へ」で始まる詞には、夢を追って上京した男の決意がつづられていた。歌手を目指し、高校生活を送った函館から上京した頃の北島さんの心情を代弁しているかのようだ。

     東京での北島さんは、渋谷でギターを抱え流しをやるなど、約7年間の下積みを経て62年にデビュー。そこからスター街道を歩む。星野はそんな北島さんの足跡を意識して、「東京の門」を志を遂げ思い出の地に戻る男の物語に書き換えたのでは。

    • 動画は写真をクリック
      動画は写真をクリック

     北島さんは、「自分と重なるとは思わないが」としながらも、「覚悟して函館を離れたから、66~67年頃に初めて故郷で公演した時は、夢を実現して帰って来られたことへの感謝でいっぱいだった」と振り返る。

     広瀬さんが、星野から聞いたという逸話を教えてくれた。星野の詞に曲をつけた島津伸男だが、旋律がうまく収まらず、「歌詞の最後に1行足してほしい」と星野に頼んだ。その1行がなかなか浮かばず、途中、小用を足し戻った星野が、「とても我慢ができなかったよ」とふざけたら、島津が「これでいけます」と応じ、それが最後の1行となった。苦し紛れが、名曲を誕生させたのだ。(文・西田浩 写真・佐々木紀明)

    函館の女
     星野哲郎(1925~2010年)作詞、島津伸男(1935~2013年)作曲で1965年11月に発売された北島三郎さんのシングル曲。当時はアナログ・レコードの時代で、最初は「北海道恋物語」のB面に収められたが、「函館」の方が好評だったため、途中からA、B面を逆転させて出し直した。発売元レコード会社の日本クラウンによると、最終的に100万枚以上売れたという。また、1970年代前半から約30年にわたって、永谷園「さけ茶づけ」のCMでこの曲の替え歌が使われ、こちらも親しまれた。

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    2017年05月29日 09時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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