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    小説や映画、詩や歌に残された作家たちの名言。その舞台となった土地をたずね、言葉が生まれた物語や背景、今を生きる人々の記憶を紹介します。

    紫式部「心だにいかなる身にかかなふらむ…」

    創作に向かう内なる声

    心だにいかなる身にかかなふらむ思ひ知れども思ひ知られず(「紫式部集」より)

    • 石山寺の名前の由来となった硅灰石(けいかいせき)が境内の中央に鎮座する。西国三十三所第十三番としても知られ、札所を巡る参詣者らの姿も(大津市で)
      石山寺の名前の由来となった硅灰石(けいかいせき)が境内の中央に鎮座する。西国三十三所第十三番としても知られ、札所を巡る参詣者らの姿も(大津市で)

     古刹こさつとして知られる大津市の石山寺には、紫式部が「源氏物語」を起筆したという伝説がある。最高権力者・藤原道長の娘、中宮彰子に新作を請われ、本堂に7日間籠もって成就を祈願。琵琶湖から流れ出る川に十五夜の月が映るのを眺めているときに、構想が浮かんだ。それは、須磨に退いた光源氏が都を回想する場面に生かされたといわれる。

     紫式部はどのような心を持って「源氏物語」を書くに至ったのか。晩年にまとめた自選歌集「紫式部集」の和歌に手がかりが残されている。

     <心だにいかなる身にかかなふらむ思ひ知れども思ひ知られず>

     どのような身の上であれば、自分のちっぽけな心は満足するというのだろう。満足することはないと分かっていても、心の底では諦めきれない。そんな意味の歌である。

     島内景二・電気通信大教授(62)(日本文学)は、この歌に「紫式部を物語作者へと変貌へんぼうさせた秘密がある」とみる。「自分の心次第で世界をつくることができるという気持ちが生まれ、『源氏物語』を創作するきっかけになったのではないか」

     名門の藤原氏に属したものの零落し、父は漢学者で国司。夫と早くに死別し、幼い娘が残された。

    • 動画は写真をクリック
      動画は写真をクリック

     「紫式部集」は少女時代の歌から始まる。<めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにしよはの月かな>。幼友達と再会し、ほんのひとときだった心残りを、雲に隠れた夜の月のようだと詠んだ。<みづうみに友よぶ千鳥ことならば八十やそみなとに声絶えなせそ>。ほかの娘と「ふた心なし」という相手に対し、あちこちの人に声をかけるがいい、と皮肉を込めた歌もある。

     明るく率直で勝ち気な一面は、夫の死によって一転、内省的で思索的な面を強くする。人生を「し」ととらえ、世のつらさを嘆き続けるのである。

     光源氏や姫君たちに成り代わり、790首余の歌を詠んだ紫式部を、作家の三島由紀夫は「七色の声」を出したとたとえた。内なる声は、水辺の風景に身を寄せ、憂愁を忘れることで解き放てたのかもしれない。(文・佐々木亜子 写真・佐々木紀明)

    「紫式部集」
     「源氏物語」の作者・紫式部が生涯にわたる自らの歌を晩年に選んで収めたとされる歌集(岩波文庫など)。友人や夫らの歌、それらへの返歌などが含まれる。出会いと別れ、宮仕えにまつわる憂愁に満ちた心情などが歌われる。写本は陽明文庫本、実践女子大本など、大別して3種ある。収録歌数や歌の順序、構成などが異なるが、いずれも120首前後を載せている。出仕した日々の出来事などを記録した「紫式部日記」と並び、紫式部を知る貴重な資料とされている。

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    2018年03月19日 10時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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