駒子が待つ「雪国」の温泉街へ

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上越線・越後湯沢(新潟県)

このトンネルを抜けると、駒子の待っている温泉街……
このトンネルを抜けると、駒子の待っている温泉街……

 日本文学史上、たぶん最もよく知られた書き出しだろう。

 〈国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった〉

 ノーベル文学賞作家・川端康成(1899~1972)の代表作「雪国」だ。国境の読みは「こっきょう」か「くにざかい」か。この文章の主語は?といった論議も提供しつつ、斬新な感覚と象徴性で戦前の文壇に「新感覚派」として迎えられた。

 不道徳だと敬遠する向きもあるが、妻子ある主人公の島村に向ける温泉芸者・駒子の一途(いちず)な思いは読者の胸を(かな)しく浸す。彼女の待つ温泉街へと通じる長いトンネルは、島村にとって「不思議の国のアリス」のウサギ穴と同じように“異次元空間”への通路なのだろ

う。

 初出版から80年余。舞台となった越後湯沢まで上越新幹線なら東京から約1時間20分で行けるが、高崎で下りて上越線の普通列車で水上へ。さらに長岡行きに乗り換えた。こんな遠回りをする人は今どき鉄道マニアしかいないかもしれないが、作品に思いを()せるのに時間をかける価値はある。

 島村が通ったのは清水トンネルで、複線化されて以降、下り列車は新清水トンネルを通っている。しかし、暗闇から出て別世界に入る時の感覚は当時と変わらない。

「雪国」が誕生した部屋 今に残して良かった

長いトンネルを抜けて広がる雪国・湯沢
長いトンネルを抜けて広がる雪国・湯沢
名作「雪国」が生まれた「かすみの間」は当時のまま残されている
名作「雪国」が生まれた「かすみの間」は当時のまま残されている

 越後湯沢駅に着いた。構内の広いフロアに特産品が並ぶ「駅ナカ」を冷やかし、湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」で駒子のモデルとされる芸者・松栄(まつえ)が住んだ小部屋が再現されているのを見てから、高台にある「雪国の宿 高半(たかはん)」に入った。30代の川端が3年通って「雪国」を書き上げた老舗旅館だ。

 「今日は晴れているから眺めがいいでしょう」と、支配人の大山賢一さんが6階の客室に案内してくれた。三国山脈の白い峰々の手前に温泉街が静かに横たわり、駅が近いので発着する新幹線はすぐ眼下を徐行。川端が逗留(とうりゅう)した2階の「かすみの間」はそっくり残っている。宿泊客は無料で見学できる。展示室には高半ゆかりの作家の作品や直筆色紙、写真などもズラリと並んでいる。

 高半は900年以上も前、この地で先祖の高橋半六翁が天然の湧き湯を発見したのが始まりなのだそうだ。43度の湯は常に、溶き卵を入れたような湯の花が咲くことから「卵の湯」と呼ばれる。ゆっくりつかってから部屋で休憩していると、外出していた女将(おかみ)の高橋はるみさんが帰って来たので談笑した。

貴重な品々が所狭しと並ぶ展示室(高半)
貴重な品々が所狭しと並ぶ展示室(高半)

 「改築することになったのは、昭和が平成に変わる頃。川端先生の『かすみの間』だけは残すべきだという声があって、経済的には厳しくて迷ったけれど、残しました。良かった、と今は思います。中国・台湾・韓国などでも『雪国』の愛読者は多いのね」

 宿にはミニ・シアターがあって毎晩、映画「雪国」(1957年、豊田四郎監督)を上映する。若き岸恵子や池部良、八千草薫の演技に打たれた。ラストに近い火事のシーンなどは、モノクロ作品なのに夜空を焦がす炎の色が鮮やかに見えるようで、川端がペンによって表現した「美」のはかなさが伝わってくる。

 元読売新聞記者の筆者には入社当時、上越国境を越え損なったというホロ苦い記憶がある。初任地が、名酒と美人の産地で鳴る新潟ではなく、手前の群馬だったのだ。あの時、もしも長いトンネルを抜けていたら、人生はどう変わっていただろうか……今頃、そんなことを空想してみた。

 文/永井一顕 写真/三川ゆき江

【施設データ】

●湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」 http://www.e-yuzawa.gr.jp/yukigunikan/

9時~17時(入館は16時30分まで)/水曜休(祝日の場合は翌日休)/入館料(大人)500円/電話025・784・3965

●雪国の宿 高半 http://www.takahan.co.jp/

平日1泊2食1万3650円~、休前日1泊2食2万130円~(共に大人2人1室利用の1人分)/電話025・784・3333

(月刊「旅行読売」2018年3月号より)

 月刊「旅行読売」は、1966年創刊。「読んで楽しく、行って役立つ旅の情報誌」がモットー。最新号や臨時増刊などの案内は こちら

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8448 0 たびよみ 2018/02/20 12:00:00 2018/02/20 12:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180219-OYT8I50076-1.jpg?type=thumbnail

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