PANA通信社の足跡を本にした中部大学講師 岩間優希さん 35(名古屋市)

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 アジア報道の理念 今も

 戦後約20年間、東京や台湾、シンガポールなどアジア各地を拠点にニュースを配信していた「PANA通信社(汎(はん)アジア新聞同盟)」の名前は現在、ほとんど忘れられ、歴史に埋もれている。「立命館大学大学院で、ベトナム戦争とジャーナリズムの研究をしていた時、その名前を初めて知りました。ベトナム戦争報道で著名な岡村昭彦さんが、PANAの契約カメラマンだったことから、この通信社のことをぜひ知りたいと思った」と振り返る。

 しかし、PANA通信社は1960年代に別の通信社の子会社となり、社史もないことがわかった。このため、大学院時代から約10年がかりで、関係者約50人をベトナムやシンガポールなど各地を訪ね歩いてインタビュー。その記録を昨年9月、「PANA通信社と戦後日本~汎アジア・メディアを創ったジャーナリストたち」(人文書院発行、326ページ)にまとめた。

 PANA通信社は「アジアの、アジア人による、アジアのための通信社」として、1949年に香港に設立され、朝鮮戦争やベトナム戦争などのいち早い詳細な報道で大きな足跡を残した。アジア各国のジャーナリストが参加したユニークな通信社だったが、各国の新聞社が独自に海外支局を開設すると、配信の需要が減り、その使命を終えたという。

 戦争報道に興味を持ったのは中部大学で、読売新聞サイゴン特派員などを務めた当時教授だった小倉貞男さんの指導を受けたのがきっかけ。「小倉先生には新聞記者になることを勧められましたが、研究者の道を選びました」と語る。

 当時のことを知る人が少なく、取材するのに苦労した。PANA関係者の同窓会の情報を聞きつけては足を運び、昨年死去した元カメラマンの石井義治さんからは「PANAの仲間は命がけで報道現場に飛び込む一方、仕事のやり方や金銭問題でもめたりした人間くさい職場だった」と教えられた。次第に「PANAの魅力」に引き込まれ、論文ではなく、ジャーナリストたちの人間ドラマとして、本にまとめようと決めた。

 シンガポールでは、元東南アジア総局長の中国系シンガポール人、陳加昌さん(86)に面会。「統治者が変われば国の政治は簡単に変わる。国籍に大きな意味はなく、時代を見据えることが大事だ」と、激動の時代を生きてきた陳さんの信念に強い印象を受けた。

 現在、朝鮮半島の核問題など国際情勢が混迷する時代。「政治的な立場や国籍を超えて、広くアジアのために活動したPANA通信社の理念は今、一層求められているのではないかと思います」と語り、学生たちにはメディアリテラシー(情報活用能力)の大切さを教えている。(大隅清司)

 

 ◇名古屋市生まれ。小学生の時、タレントの黒柳徹子さんがユニセフ(国連児童基金)親善大使として、発展途上国で活躍する姿を見て、外国の歴史や文化に興味を持ち、中部大学国際関係学部へ進学した。卒業後、同志社大学大学院と立命館大学大学院でメディア学などを研究。2015年から中部大学全学共通教育部講師を務める。大学時代から世界各地を旅行するのが趣味だ。

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16661 0 ひゅーまん愛知 2018/02/12 05:00:00 2018/02/12 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180413-OYTAI50023-T.jpg?type=thumbnail

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