庶民の唄 若者に残す 西守芳泉さん 57(豊田市)

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 「挙母小唄(ころもこうた)」をはじめとした民謡や三味線などの指導を続ける

 バレー部を引退した高校3年の頃。ギターを弾けるようになろうとしたが、「向かないな」と感じていたとき、「三味線を始めて、面白かった」という新聞記事が目に留まった。叔父から豊田市内で民謡や三味線を教えている「初代西守芳泉」のことを聞き、門をたたいた。

 三味線をきっかけに民謡を習い始めて、まもなく「住み込みで内弟子にならないか」と師匠から声をかけられた。「面白い。これならできる」と手応えを感じていたので、和裁学校への入学が決まっていたが、親の反対を押し切って、内弟子になった。5年間、師匠と寝食を共にして、身の回りや食事の世話、お茶入れなどをする合間に、師匠が先輩たちに稽古をつけているそばで見聞きして、民謡と三味線の基礎をたたき込まれた。

 内弟子修業後、結婚、出産を経て、2人の娘を育てながら稽古に励み、弟子たちに稽古をつけるまでになった。先代が作った結社「芳泉会」を引き継ぎ、1998年に「二代目西守芳泉」を襲名した。「民謡は庶民の唄」という思いを強く抱き、地元の民謡にも興味を持つようになった。その時に出会ったのが、「挙母小唄」だった。「挙母」は、59年に豊田市へ改称するまでの旧市名だ。

 挙母小唄は野口雨情が作詞し、31年に地元の芸者によって披露され、レコードにもなって広まった。挙母祭りで曳(ひ)き出される「山車」や、中心部を流れる矢作川の「矢作の浅瀬」が唄の中に登場し、「豊田中心部の要所が盛り込まれているところがいい」と、会の発表会や舞台などでうたい続けてきた。

 一昨年12月から名鉄豊田市駅近くの空き店舗を使い、1時間500円のワンコインで民謡を教える教室を気の合うメンバーと始めた。挙母小唄の「(ハイヨ ハイヨ ソリヤマタ)パラダイス」の一節から、教室は「民謡パラダイス(民パラ)」と名付けた。三味線を教える「三味線パラダイス(三味パラ)」も昨夏から始めた。

 「芸事は入りにくいと思われているが、それを壊したかった。入り口を作ってあげて、民謡をうたう人を増やしたい」。そんな思いで始めた教室には10人前後が参加し、帰宅途中の会社員や、子どもをあやして参加する子育て中の夫婦が姿を見せる。

 「民謡や三味線を次世代に残したい」という思いは強く、15年ほど前から小中学校の和楽器体験学習の派遣講師として、「さくらさくら」の弾き方やうたい方を教えている。「民謡や三味線の世界で、無我夢中にやってきたが、この世界に答えはない。民謡は楽譜がないので、自分の持ち味が出せる。若い人たちにうたってもらえれば」とほほ笑んだ。(黒岩宏行)

 

 ◇

 1996年、米国ニューヨーク・カーネギーホールで開かれた「日本の祭典」に参加。2013年、民謡民舞愛知・岐阜県連合大会」の民謡部門で総合優勝した。14年、東京・両国国技館での民謡民舞全国大会に出演。老人ホームや敬老会でもボランティアなどの地域活動で、唄や演奏を続けている。本名は、村松典子。

 

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16655 0 ひゅーまん愛知 2018/02/19 05:00:00 2018/02/19 05:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180413-OYTAI50024-T.jpg?type=thumbnail

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