秀吉による朝鮮侵略時の日記「瑣尾録」を自費出版した 栗本伸子さん 85(名古屋市)
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◇侵略耐え生きる姿翻訳
「16世紀末、豊臣秀吉による侵略戦争が、朝鮮社会に与えた甚大な影響を知ることは、20世紀の朝鮮併合、植民地化の歴史を学ぶことにもつながる」。栗本伸子さんが朝鮮の文人、
今でも、はっきりとよみがえる光景がある。1945年8月15日、ソウル(当時は京城)の高等女学校で玉音放送を聞いた。学校を出ると、「ふだんはカーキ色に染まっていた町が、真っ白に一変していた」。朝鮮の人たちが、国民服から白の民族服に着替えたのだ。「独立マンセー(バンザイ)」の声が町にあふれていた。
京城帝国大学教授の父、
帰国後、宮崎県の親戚宅に身を寄せ、父が愛知大学、次いで名古屋大学教授に着任すると、豊橋、名古屋へと引っ越した。栗本さんは旭丘高校、名古屋大を経て中学の社会科教諭となり、結婚して3人の子を育てた。
73年頃、研究者や市民でつくる名古屋朝鮮史研究会に参加した。6年後、勉強会で輪読する古典に「瑣尾録」が選ばれ、読解に取り組んだ。約20年間、読み込むほどに、じゅうりんされても土にしがみつき、懸命に生きる人々の姿に心を打たれた。「毎日書き続けたのは、どうしても後世に伝えたかったからでしょう」
ただ、当時は大切な仕事を抱えていた。岐阜大学、愛知県立大学の学長を務め、73年に死去した父の4000冊を超す朝鮮関係の蔵書の目録づくりや保存先探しだ。2010年、「四方博朝鮮文庫」として東京経済大学に寄贈した。
「ようやく親孝行が果たせました。これからは老後の楽しみを」と、勉強会仲間だった河田いこひさん(77)(長野県南牧村)を誘い、「瑣尾録」の現代日本語訳に着手。上巻は栗本さん、下巻は河田さんが担当で、5年かけて全訳した。
ただ、原稿量が膨大になりすぎて、15年から抄訳版づくりに取りかかり、着手から9年目の今年、「瑣尾録(抄訳)―秀吉の侵略を受けた朝鮮側の一文化人の記録―」(B5判)を自費出版した。上下2巻で計約900ページとなった。
その中に、日本では英雄伝説として語られることの多かった「加藤清正の虎退治」が事実だと証明する貴重な記述もあった。しかし、栗本さん自身は、この箇所を翻訳した際、「あまり気に留めなかった」という。何よりも理不尽な侵略によって家族との離別や飢え、病気に苦しむ人たちの日々の暮らしに心を寄せていたからだろう。(千田龍彦)
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「瑣尾録」 朝鮮の支配階級、両班(ヤンバン)に属する呉希文が豊臣秀吉による侵略(1592~98年)からの逃避行の日々を漢文で記した日記。子孫が保管していた原本を基に1962年、上下2巻で出版され、日韓両国の研究者らによって利用されてきた。