「八事の蝶々」作り手待つ…明治生まれ郷土玩具

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保存会高齢化で後継探し

竹ひごで骨組みを作り、和紙を貼った蝶々に色を塗る安江さん
竹ひごで骨組みを作り、和紙を貼った蝶々に色を塗る安江さん

 名古屋市天白・昭和両区にまたがる八事地域に明治初期から伝わる竹細工の郷土玩具「八事の蝶々ちょうちょう」が、伝承の危機にひんしている。保存会代表の安江春彦さん(82)(天白区)は「蝶がひらひらと舞う八事の街の景色を、後世に伝えたい」と、後継者が現れるのを待ち望んでいる。

 自宅の作業場で、安江さんは慣れた手つきで竹筒にナイフを入れる。真竹は天白区の知人の竹やぶで刈り取ったもの。これを1ミリ程度の細さに削り込み、竹ひごで骨組みを作る。のり付けした障子紙を5色の絵の具で色づけすると、羽を広げる蝶の姿が完成した。「均一な太さに竹を削れるようになるまで時間がかかった。簡単なつくりに見えて、実は奥深い」。15年以上にわたり、年約3000個を作ってきた。

 蝶々作りは明治初期、収入を失った士族の内職として始まった。現在は住宅や大学が集中するこの地域は、当時は寺社や保養地を中心とした行楽地で、春は花見客らでにぎわった。蝶々は土産物として街道沿いで売られるようになったという。

 戦後、作り手がいなくなり、蝶々は一時は街から姿を消した。しかし昭和40年代後半、この地域の住民だった加藤かなさん(故人)が、幼い頃の記憶を頼りに作り始め、息を吹き返した。

 元小学校教員の安江さんは20年ほど前、加藤さんのめいを通じて加藤さんと知り合い、作り方を教わった。市から派遣されたオーストラリアの高齢者との交流事業に蝶々を持って行くと現地の人々に喜ばれ、もっと作ってみたくなった。伝統が途絶えることを懸念していた加藤さんからも「あんた、これから作りゃあ」と勧められ、本格的に制作を始めた。加藤さんは2009年、100歳で他界した。

 「自分がかなさんの思いを引き継ごう」。その数年前に発足させていた保存会の代表として、小学校での出前授業やイベント会場でのPRを続けてきた。「ここ数年は、ずいぶん市民にも知られるようになった」と手応えも感じている。

 一方で、蝶々の将来に不安もある。会の中心メンバーは地域の高齢者数人で、竹筒から作れるのは安江さんだけ。自身も17年に脳梗塞こうそくで倒れ、今も手足にしびれが残る。「90歳までは蝶々を作る。へこたれてはいられない」と自らを奮い立たせるが、「後継者を探さなければ」との焦りも大きい。

 安江さんは自宅の玄関先に蝶々を飾っている。素朴で愛らしい蝶々の姿に、「自分も作りたい」と思ってくれる人が現れるのを信じているからだ。「八事の景色を伝えていくために、若い力に加わってもらえたら」と願っている。(小笠原綾理)

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405884 0 ニュース 2019/01/29 05:00:00 2019/01/30 10:32:07 2019/01/30 10:32:07 蝶々に色を塗る安江さん https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20190129-OYTNI50028-T.jpg?type=thumbnail

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