祖国との懸け橋 大会後も

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シンハラ語を教えるサジーワニーさん。「間違っても構いませんよ」。優しい口調が場を和ませる(2017年12月2日、山武市で)
シンハラ語を教えるサジーワニーさん。「間違っても構いませんよ」。優しい口調が場を和ませる(2017年12月2日、山武市で)

 山武市の成東文化会館で、スリランカ出身のサジーワニー・ディサーナーヤカさん(43)が滑らかな日本語で質問を投げかけた。「先週どこへ行きましたか?」「いま何時ですか?」。16人の受講者が、同国の公用語の一つ「シンハラ語」で答えていく。「とってもよくできました」。サジーワニーさんの笑顔がはじけた。

 2020年東京五輪・パラリンピックでスリランカ選手団の事前キャンプ地となる山武市。県内自治体で最も早い14年12月に決まり、シンハラ語教室は16年8月、官民による国際交流組織が選手らのおもてなしのためにスタートさせた。サジーワニーさんは毎月2回の教室でただ一人の講師だ。

 スリランカ西部ガンパハで6人家族の次女として生まれた。現在は大都市だが当時は自宅に電気が通っておらず、灯油式のランプで勉強した。

 12歳の頃、学用品の支援を日本のボランティア団体から受け始めた。これを機に日本語に取り組み、日本の支援者と文通して文法や文章の書き方を学んだ。日本から届いたソーラー機器のおかげで「故郷ふるさと」や「赤とんぼ」など童謡のカセットテープが聴けるようになり、言葉のリズムや文化にも親しんでいった。「支援者の方々ときちんとコミュニケーションを取りたい一心でした」と振り返る。

 国内は内戦に揺れ、テロリストの自爆を目撃したこともある。大学の授業開始は入試から2年以上も後。02年に国際交流基金の短期研修で初来日し、日本語教育を本格的に学ぼうと長期留学を決め、05年に千葉大大学院に進んだ。

 山武市がスリランカのキャンプ地になったきっかけの一つに、地元小学校の元校長らが07年に始めた「コスモス奨学金」がある。同国の恵まれない子供たちの教育を支援する活動で、サジーワニーさんも当初から携わり、山武に足を運んできた。援助した子供は約250人。「ずっと助けてもらってきた私が、人のためになっている。日本の皆さんには助け合いの心があります」と感謝する。

 市の非常勤職員の公募に応じて採用されたのは16年5月。スリランカ人の夫と娘2人の一家4人で市内に住み、シンハラ語教室のほか、来訪した要人らの通訳を担ったり市民向けのカレー教室で母国の味を伝えたりしている。

 「日本はもう一つの自分の国。そこで大会が開かれ、山武にスリランカの選手が来ることになって。不思議なつながりを感じます」とサジーワニーさん。シンハラ語を学ぶ税理士の板倉孝雄さん(64)は「内戦などスリランカの歴史も深く教わって、外国とは思えなくなってきた。もっとしゃべれるようになって選手を迎えたい」と話す。

 サジーワニーさんの夢は、大会後も両国の交流が続くことだ。「その懸け橋になりたい」と力を込めた。

(加瀬部将嗣)

 

 スリランカはインド洋の島国で、北海道の8割ほどの面積に約2100万人が暮らす。

 2020年大会で出場が見込まれるのは陸上や柔道など。1964年の東京五輪では、セイロン(現スリランカ)の陸上男子1万メートル代表で、周回遅れとなりながらも走りきったラナトゥンゲ・カルナナンダ選手の姿が共感を呼び、日本の教科書が「ゼッケン67」のタイトルで紹介した。

 戦後の51年に開かれたサンフランシスコ講和会議では、セイロン代表が仏教の教えを引用して日本占領や賠償請求に反対した。2004年のスマトラ島沖地震の津波で多大な被害が出たことでも知られる。

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2046 0 裏方たちの2020年 2018/01/05 05:00:00 2018/01/05 05:00:00 シンハラ語を教えるサジーワニーさん(左)。「間違っても構いませんよ」。優しい口調が場を和ませる(2016年12月2日、山武市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180105-OYTAI50005-1.jpg?type=thumbnail

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