最高の車いす 2人で追求

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斎田選手(右)と20年大会を目指す安さん。「勝てる車いすを作りたい」(千葉市若葉区で)
斎田選手(右)と20年大会を目指す安さん。「勝てる車いすを作りたい」(千葉市若葉区で)

 銅メダルが決まった瞬間、斎田悟司選手(45)は相棒の国枝慎吾選手(33)と抱き合い、涙を流した。

 2016年9月15日、ブラジル・リオデジャネイロ。パラリンピックの車いすテニス男子ダブルスで、3位決定戦を制した。

 「いつもは感情を表に出さない斎田さんが泣いている。見ている自分もぐっと来た」。車いすの開発に携わった「オーエックスエンジニアリング」(千葉市若葉区)のやす大輔さん(43)は千葉市の自宅で1人、インターネットで中継を見守っていたその時を語る。

 これまでのパラリンピックで122個のメダルをもたらした同社の車いす。20年近く愛用し、金と銅計3個のメダルを手にした斎田さんとペアを組むのが安さんだ。

 自転車やバイクが趣味で、1988年設立の同社に2000年に入社した。パーツの組み立て方を覚えることからスタートし、今はアスリートからの要望を製造部門に伝える役割を担っている。

 選手の足となる競技用車いす。車輪の角度や足置き場の位置など、選手のリクエストにミリ単位で応えることが求められる世界で、斎田選手とタッグを組んで10年以上になる。

 ただ、最初からうまくいったわけではない。車輪の傾きを大きくすると、「スピードが落ちる」。足置き場の位置を前にすると、「車輪を回転させにくくなる」。返ってくる言葉に耳を傾けることしかできなかった。

 パートナーとして信頼を得ようともがく安さんの姿を斎田選手は今も覚えている。車輪の動きの参考にしようと自転車の解説書を読みふけっていた。試合が深夜まで及んでも見守り続けてくれた。「いつの間にか自分より車いすに詳しくなっていて、心の支えにもなっていた」

 16年2月。競技用車いすの研究に取り組む大学や企業から斎田選手に提案があった。「フレームにマグネシウム合金を使ってはどうか」。従来のアルミニウムより軽い車いすを作れるという。リオ大会まで半年ほどに迫っていたが、挑戦する道を選んだ斎田選手の熱意に安さんも奮い立ち、2か月前に完成させた。

 「コートを走るタイムを上げるためには、ものすごいトレーニングが必要。それなのに、乗り換えただけでタイムが伸びた」。斎田選手にとって、2大会ぶりのメダル獲得へと導いたリオの車いすは「最高の一台」となった。

 これまでに2人で作り上げたのは約10台。「車いす作りに完成形はない」と安さんは言う。斎田選手と支え合い、20年大会に向けた「最高の一台」を生み出そうと心に決めている。

(西原寛人)

 

 2020年の東京パラリンピックでは、本県ゆかりの車いすテニス選手の活躍が期待されている。ともに柏市在住で、08年北京、12年ロンドン大会の男子シングルスで金メダルを獲得した国枝選手と、7大会連続の出場を狙う斎田選手のほか、市原市在住で初出場を目指す鈴木康平選手(25)らだ。

 日本障がい者スポーツ協会によると、東京大会で行われる22競技のうち、車いすが使われるのはテニスやラグビー、バドミントン、バスケットボールなど10競技。千葉市美浜区の幕張メッセではフェンシングが行われる。

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2364 0 裏方たちの2020年 2018/01/06 05:00:00 2018/01/06 05:00:00 斎田(右)が信頼を寄せる安。「競技用車いすは終わりがありません」といい、斎田が求めるベストの1台を追究し続ける(千葉市若葉区で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180109-OYTAI50002-1.jpg?type=thumbnail

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