元熱田派事務局長・石毛博道さん

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20日で開港40年を迎える成田空港(11日、本社ヘリから)=竹田津敦史撮影
20日で開港40年を迎える成田空港(11日、本社ヘリから)=竹田津敦史撮影
円卓会議を終え、握手する石毛さん(右)と亀井運輸相(1994年10月11日、成田市で)
円卓会議を終え、握手する石毛さん(右)と亀井運輸相(1994年10月11日、成田市で)

 「もともとは国に押しつけられた空港だが、機能強化は地域の希望で合意に至った」。三里塚芝山連合空港反対同盟熱田派の元事務局長で、近年は機能強化を推進する立場で活動する石毛博道さん(68)(芝山町)は感慨深げだ。

 成田空港は当初、3本の滑走路を造る計画だったが、国の一方的な決定に住民が反発。激しい反対闘争に遭って用地買収が進まず、1978年3月30日に滑走路1本で開港することになった。ところが、直前の3月26日に過激派が管制塔を襲撃して占拠。この様子はテレビ中継され、成田闘争を象徴するシーンとなる。

 当時、反対同盟の青年行動隊員だった石毛さんは「みんな大喜びだった。武装闘争を続ければ勝てるという雰囲気になった」と振り返る。2か月遅れで開港したが、「国は空港を運用しながら拡張工事を進めなくてはならない。防御が手薄になるので、ゲリラ戦でも勝機はあると踏んでいた」。

 しかし、闘争が長引くにつれて反対派は減っていく。空港用地の買収手続きを煩雑化させる目的で、持ち分を分割した一坪共有地の共有者も減少。運動方針の違いなどが表面化した反対同盟は83年、熱田派と北原派に分裂した。

 運動の広がりを求めて、石毛さんは芝山町議を3期務めた。熱田派事務局長として国との話し合いのテーブルに着いた91~94年の成田空港問題シンポジウム・円卓会議では、主導的な役割を果たした。

 「B滑走路などの2期工事を断念させることが狙いだったが、国は土地の収用裁決申請を取り下げた。国が強制力を捨てたことで、やり切ったと思えた」と話す。94年10月の円卓会議の最終回に亀井静香運輸相と握手を交わし、反対運動から離れた。

 ただ、2010年の羽田空港の再国際化以降、成田の埋没を懸念する声が地元で強まった。経済団体などでつくる「成田第3滑走路実現する会」(会長=池内富男・成田商工会議所会頭)などは15年、3本目の滑走路の建設に賛同する16万6000人余りの署名を国土交通相に提出した。

 学識経験者や住民らで構成する「成田空港地域共生・共栄会議」の住民代表委員になっていた石毛さんも同年、「成田第3滑走路実現を目指す有志の会」を仲間と結成。住民に賛同を求めたり国会議員に要望したりする活動を展開した。「後継ぎのいない農家も多く、開港前後とは時代背景が違う。雇用が増える意義は大きく、空港の発展が地域の発展に直結する」と語る。

 機能強化は騒音対策や生活環境保全が大前提とした上で、「国や成田国際空港会社が実施してきた家屋の防音工事や交通基盤の整備などには足りない部分もある。地域との共生・共栄はこれからが本番」と、きめ細やかな対応を求めていくつもりだ。

 

【機能強化策】 〈1〉第3滑走路(3500メートル)を芝山町に新設〈2〉B滑走路(2500メートル)を北側に1000メートル延伸〈3〉運用時間の延長――の3点。2020年東京五輪・パラリンピックまでにA滑走路の運用時間を1時間延長して午前6時~午前0時にする。第3滑走路供用後は、空港全体の運用時間を午前5時~午前0時半とし、滑走路ごとに「午前5時~午後10時」と「午前7時半~午前0時半」の2パターンで使い分ける「スライド運用」を導入する。これにより、飛行ルート下の静穏時間は7時間となる。

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22196 0 成田開港40年 それぞれの思い 2018/05/15 05:00:00 2018/05/15 05:00:00 千葉支局「成田空港開港40年」連載用、成田空港の管制塔(11日、本社ヘリから)=竹田津敦史撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180516-OYTAI50007-T.jpg?type=thumbnail

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