児童見守る 振り子時計

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鈴木が関宿小に贈った柱時計。今も時を正確に刻む
鈴木が関宿小に贈った柱時計。今も時を正確に刻む
「最後の御前会議」の絵を前に、子供たちに特別授業を行う筑井さん(7月14日、鈴木貫太郎記念館で)
「最後の御前会議」の絵を前に、子供たちに特別授業を行う筑井さん(7月14日、鈴木貫太郎記念館で)

 80年以上、時を刻み続けている柱時計が野田市立関宿小学校の校長室にある。1936年(昭和11年)の2・26事件で瀕死ひんしの重傷を負った鈴木貫太郎が、自らも通った同小に贈ったゼンマイ式の振り子時計だ。

 「何とか助かって」と児童や教職員は連日、地元の神社で郷土の偉人の回復を祈ったという。命をつないだ鈴木はこの話を聞いて感激。謝意を込めた柱時計には「昭和11年6月21日」の焼き印が残る。この年の秋、同小で開かれた快気祝いに招かれた鈴木は、子供たちとの交流を心ゆくまで楽しんだという。

 そんなルーツのある時計だが、30年以上前に動かなくなったことがある。当時の女性校長がメーカーに修理を依頼したが、部品がないと言われた。仕方なく自ら工具でいじっているうちになぜか動き出し、以来一度も故障はないという。

 「ゼンマイは摩耗していくのに、オーバーホールもせずに80年以上も動いている例は聞いたことがない」とメーカーも驚く頑丈さ。現校長の小松崎明(57)は「貫太郎の魂が入った奇跡の時計だから壊れないのでしょう」と推し量る。

          ◎

 同小はこの夏、没後70年を機に鈴木について学ぶ特別授業を行った。

 「学級委員会で話し合っても決まらない時はどうする?」「先生に決めてもらう」「貫太郎さんも、会議で決まらないから天皇陛下に決めてもらうことにしたんだよ」

 鈴木貫太郎記念館(野田市)で行われた3年生の授業。講師の元市職員筑井つくい正(67)が「最後の御前会議」の絵を前に学級委員会に例えて解説すると、児童たちは興味深そうに絵を見つめた。

 職員だった時、酪農を担当したり記念館の館長を務めたりした筑井は退職後、市内の公民館の講座で鈴木夫妻について語る活動に取り組んでいる。特別授業は小松崎の依頼で実現した。

 別の日に6年生の教室で行った授業では、鈴木が首相として日本を終戦に導いた後、郷土関宿の復興のため酪農に心血を注いだと説明。親が酪農家という男子児童は授業後、「牛の仕事を継ごうと思った」と笑顔で話した。

 筑井も同小の卒業生。子供の頃、鈴木家の敷地で遊んでいると、妻タカが決まって高級洋菓子をごちそうしてくれたことがいい思い出になっている。

 地元の子供をかわいがった鈴木とタカ。筑井も「子供こそ地域の宝」と訴える。「貫太郎さんやタカさんの話を通じて平和の精神を伝えていきたいね」。母校の柱時計のように、子供たちをずっと見守り続けるつもりだ。

(敬称略)

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37531 0 永遠の平和 鈴木貫太郎没後70年 2018/08/21 05:00:00 2018/08/21 05:00:00  ) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180821-OYTAI50000-T.jpg?type=thumbnail

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