幕張砂漠にメッセ出現

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幕張メッセを背に当時の思い出を語る児玉さん(昨年12月、千葉市美浜区で)=重松浩一郎撮影
幕張メッセを背に当時の思い出を語る児玉さん(昨年12月、千葉市美浜区で)=重松浩一郎撮影
1988年の幕張新都心の様子(県企業土地管理局提供)
1988年の幕張新都心の様子(県企業土地管理局提供)
幕張新都心のビル群に立つ松田さん(昨年12月、千葉市美浜区で)=重松浩一郎撮影
幕張新都心のビル群に立つ松田さん(昨年12月、千葉市美浜区で)=重松浩一郎撮影

 「『コンベンション』って何だ」。1986年、就職活動中の大学生だった児玉賢治さん(55)は、日本初の本格的な複合コンベンション施設「幕張メッセ」(千葉市美浜区)の記事に目を留めた。コンベンションは、英語で国際会議や博覧会の意味。当時、3年後の開業に向けて準備が進められていたが、一般にはなじみの薄い言葉だった。

 運営会社「日本コンベンションセンター」(現・幕張メッセ)に尋ねると、まだ採用計画もできていないという。ところが、就職活動が一段落した頃に電話が鳴った。「やはり採用を実施することになった」

 児玉さんは「できたばかりの会社。新しいものを生み出せるのでは」と他社の内定を断り、87年に新卒1期生として入社。現在は営業総括部長を務める。

 メッセでは89年10月26日に東京モーターショーの開催が決まっていた。起工式は87年12月で、作業は急ピッチで進んだ。

 89年10月9日。政財界をはじめ、長嶋茂雄氏(現・読売巨人軍終身名誉監督)、前年のソウル五輪金メダリストの鈴木大地氏(現スポーツ庁長官)らが招かれ、開業を祝った。1日に約7万3000人が訪れ、翌日の本紙千葉県版は「華やかに千葉の新時代」と伝えた。

 誘導係として式典を見守った児玉さんの頭の中では、平成への改元とメッセの開業が重なった。「時代が変わっていく。日本を代表する施設になるだろう」と胸を熱くした。

 モーターショーまでは20日を切っていた。展示場内はまるで工事現場で、ブースを設営する大型クレーンが何台も入った。ショーが開幕すると通路は満員電車のようになり、ゴミが散乱。12日間で200万人近くが訪れ、バブル経済に乗った平成初期の勢いを感じた。

 苦しい時期もあった。96年に東京ビッグサイト(東京都江東区)が開業、メッセの来場者数は前年度から約100万人減った。モーターショーは2011年にビッグサイトに移った。

 だが、メッセはその後、音楽イベントやアニメ、ゲームなど多様化するコンテンツに対応し、稼働率を大きく伸ばした。累計来場者数は18年3月末現在で1億6800万人を超えた。

 メッセが立つ幕張新都心一帯はかつて、遠浅の海だった。近くに住んでいた元県企業庁職員の松田和紀さん(67)は子供の頃、家族で潮干狩りや魚釣りに訪れたことを思い出す。

 海は1973年から80年にかけて埋め立てられ、殺風景さから「幕張砂漠」とも呼ばれた。県内に先端技術産業を集積させるため、県が83年、新都心と成田空港、かずさアカデミアパークを軸とした「千葉新産業三角構想」を打ち出し、埋め立て地にはメッセに続きオフィスビル、ホテルが次々と整備された。

 しかし、バブル崩壊で進出を取りやめたり、撤退したりする企業が続出。92年に企業庁幕張新都心建設課に配属された松田さんが携わった住宅地区「幕張ベイタウン」も頓挫が危惧されたこともあったという。

 「こんなに素晴らしい街づくりをしているんだよ」と松田さんは、家族をモデルルームに誘った。すると、仕事に無関心だった家族が「住みたい」と言い始めた。街開き翌年の96年、住人となった。

 開発の停滞を打破するため、企業庁は新たなまちづくりの指針を示し、2000年代に商業施設が本格的に入り始めることになった。半世紀の間、大型開発を担い、前身の開発庁時代に最大24課を抱えた企業庁は15年度末に清算。後継組織の企業土地管理局は4課に縮小した。

 メッセは20年東京五輪・パラリンピックの競技会場に選ばれ、再び新都心が脚光を浴びることになった。

 住民らでつくる協議会に加わり、退職後も街づくりに関わっている松田さんは「五輪をテコに交通利便性を高め、さらなる発展につなげてほしい」と期待を寄せる。「五輪開催なんて考えたことすらなかった」と笑う児玉さんはこう語る。「メッセの名前が五輪の競技会場として人々の記憶に残り、スポーツの聖地になってくれたら」

 新たな都市のかたちを模索しながら、千葉の産業をリードしてきた幕張新都心。次代に向けて、新たな進化を遂げようとしている。(重松浩一郎)

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61085 0 平成から次代へ 2019/01/01 05:00:00 2019/01/01 05:00:00 幕張メッセを背に当時の思い出を語る児玉さん(12月19日、千葉市美浜区で)=重松浩一郎撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20190104-OYTAI50014-T.jpg?type=thumbnail

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