震災風化防ぐ 活動今も

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「我らの波止」の影絵を演じている旭市立中央小の「お話ボランティア」のメンバーと伊豆さん(前列左から2人目)=加瀬部将嗣撮影
「我らの波止」の影絵を演じている旭市立中央小の「お話ボランティア」のメンバーと伊豆さん(前列左から2人目)=加瀬部将嗣撮影

 昨年12月、銚子市内で学校長らの研修会が行われた。前方スクリーンで上演されたのは、かつて旭市の飯岡地区で起きた水害の言い伝えを題材にした影絵だ。

 1930年(昭和5年)12月、現在の飯岡地区の海岸で水位が突然上昇し、十数軒が床下浸水した。それからほどなく、飯岡小学校に通う少年2人が海岸で石を積み、波止はと(防波堤)を築き始めた。まちを守ろうとしたもので、教師や他の児童も加わり、県の護岸工事にまで発展した――。

 「我らの波止」という、こんな伝承が地域にはある。同市立中央小学校の保護者OGらによる「お話ボランティア」が広く伝えようと、影絵にして演じている。

 平成の災害史に刻まれた2011年3月11日の東日本大震災。大きな津波被害が出た同市では、関連死を含め県内最多の14人が死亡、2人が行方不明になった。飯岡地区では、幾多の水害に見舞われた歴史があり、地元では風化を防ぐ様々な取り組みが続く。影絵の上演もそんな活動の一つだ。

 「我らの波止」に改めて光を当てたのは、飯岡小前校長の伊豆守彦さん(62)。ドラマ風の「実録抄」を作り、児童の朗読に使ったり、講演を行ったりしてきた。中央小教頭時代に出会ったお話ボランティアに影絵制作を依頼し、メンバーが人形や絵などをつくり、16年以降、旭市の小学校など5か所で上演してきた。

 伊豆さんは「震災で県内最大の被害を受けた地域が誇る史実として語り継ぎたい」と話す。リーダーの青木利江子さん(58)も「災害は忘れた頃にやってくる。防災教育としても伝えていきたい」と語る。

          ◇

 飯岡地区では1703年の「元禄地震」でも70人以上が津波で犠牲となった。

 市内の復興活動を取り上げてきた「復興かわら版」の編集に携わる渡辺昌子さん(72)は震災前、元禄の津波被害を知らなかった。津波で自宅が大規模半壊した自らの経験に照らしても、「嫌なことは忘れたいもの。風化は仕方ない」と思う。

 それでも活動を続けるのは、生まれ育った古里の活性化や復興を望むから。震災からまもなく8年。「安全で安心して暮らせるまちになるためにも、津波があったことを伝えていきたい」と話している。

(加瀬部将嗣)

 

液状化被害進まぬ工事

 東日本大震災で市面積の86%が液状化し、約8700戸が被害を受けた浦安市では、対策工事を行うため16地区4103戸を対象に市が住民説明会を重ねてきたが、合意が崩れるなどして工事が実施されたのは1地区33戸にとどまった。

 市は、固化剤を流し込んで宅地境界の地中に格子状の壁を造る工法を前提に、2013年から計450回以上の説明会を行ってきた。

 いったんは3地区計471戸での実施が決まったが、その後、一部住民が反対に転じるなどした2地区の中止が決定。計画通りに進んでいるのは東野3丁目だけとなった。

 平均約200万円の自己負担に加え、自費でリフォームを済ませた人や自分の代で家を手放す高齢者にとってメリットは少なく感じられた。震災から時間がたち、住民意識の変化も合意を妨げた。市の担当者は「住民はそれぞれの事情を抱えている。住民合意の難しさを実感した」と話した。

(栗村政伸)

61312 0 平成から次代へ 2019/01/07 05:00:00 2019/01/07 05:00:00 「我らの波止」の影絵を発表する旭市立中央小の「お話ボランティア」のメンバーと伊豆さん(前列左から2人目)(12月1日、銚子市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20190107-OYTAI50033-T.jpg?type=thumbnail

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