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いよいよ、目標の富士山(3776メートル)に挑戦する。基本的な装備をそろえ、最低限の登山のトレーニングを積んできたが、高山病など不安は尽きない。とにかく、無理はしないと決め、日本最高峰を目指した。
いつ、どのルートで登るか。富士登山の経験豊富な写真グループの尾賀聡記者(49)と相談し、混雑期を避けて7月13、14日の1泊2日で、東海地方からの交通の便が良い静岡県側の富士宮ルートで登ることにした。

山頂へ至る主な登山ルート四つの中で標高差や所要時間は最短だが、傾斜は急とされる。初心者ゆえ、7合目(標高約3000メートル)の山小屋に泊まって標高に体を慣らし、山頂でのご来光より登頂成功を優先したプランを立てた。
ザックには、着替えや行動食、ヘッドライト、モバイルバッテリーなどを、雨でぬれないよう、密閉袋やビニール袋に入れて詰めた。新型コロナウイルス対策で、マスクや消毒、寝袋の中に敷くシーツも用意した。
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登山初日の空は雲がやや多く、富士宮駅(静岡県富士宮市)からバスで5合目へ向かう途中、雨がぱらついた。降車し、ザックから雨具を取り出そうとして、レインパンツを忘れたことに気づく。小雨でおさまってくれればいいが……。検温を受け、午前10時に5合目を出発した。
砂や小石の混じる道が斜め上へ緩やかに延びており、ゆっくりと登った。30分ほどで山小屋が並ぶ6合目が見えてきた。尾賀記者の提案で、足慣らしを兼ね、山小屋の脇にある分岐点から山腹の宝永山(2693メートル)へ向かった。江戸時代の宝永大噴火でできた、こぶのような山だ。

火口を横断し、坂道を登った。砂利に靴が潜って歩きにくい。さらに濃くなる霧の中を進み、正午過ぎ、宝永山の山頂に着いた。ひんやりとした風が吹き抜ける中、腰を下ろして昼食を取った。
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6合目の分岐点まで同じ道を折り返し、午後1時、富士宮ルートに戻って富士山山頂へ向かった。岩が多く、歩幅を狭めてつまずかないようにした。斜面の高山植物も眺めながら進むと、道は砂が多くなっていく。50分ほどで山小屋のある新7合目に着いたが、視界はまだ開けていなかった。
大阪府泉佐野市の男性(28)がザックを下ろし、休憩していた。富士登山は大学生の時以来といい、「新型コロナもあって忙しい日々が続く中、初心にかえろうとの思いで再挑戦しました」と語った。

次の7合目へ続く道を登り始めるや否や、雨脚が強まった。レインパンツがなく、登山パンツや靴に水がしみこむ。午後3時、7合目に到着した時には、下半身が冷えてしまっていた。初日はここまでで、「元祖七合目山口山荘」に泊まる。風邪を引かないよう、まず体を温めなくては。
<メモ>宝永大噴火…江戸時代中期の1707年(宝永4年)12月16日に富士山南東斜面で始まり、16日間続いた。火山灰は現在の都心部まで達したとされる。三つの火口と宝永山ができた。以降、富士山で噴火は起きていない。
