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難所の山 4年かけ貫く

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海を越えた鉄道 柳ケ瀬トンネル

滋賀県長浜市から敦賀市に抜ける柳ケ瀬トンネル。今は車道として使われている(長浜市で)
滋賀県長浜市から敦賀市に抜ける柳ケ瀬トンネル。今は車道として使われている(長浜市で)

 旧北陸線の起点駅があった滋賀県長浜市を車で北上し、福井との県境付近でくぐるのが、柳ケ瀬トンネル。片側交互通行で車1台分の幅しかないが、今も車道のトンネルとして現役だ。

 1882年(明治15年)、敦賀―長浜間は、この付近の山岳地帯を残していったん開通した。未開通区間は積み荷を列車から降ろし、反対側まで人力で運んだとされる。大量輸送を実現するには、この難所をトンネルで貫く必要があった。

 柳ケ瀬トンネルは、漏水がひどく、作業に苦戦した。硬い岩盤を砕くのにダイナマイトも使われた。換気が悪く、粉じんを吸って病に倒れる作業員も出た。当時国内で最長となる1352メートルのトンネルは、4年の歳月をかけて1884年に完成。これで日本海側と太平洋側が鉄路で結ばれた。

 通過するのも命がけだった。柳ケ瀬トンネルは急勾配で、後ろから列車を押す「補機」が必要だった。狭い上、当初は排煙設備もなかった。1928年(昭和3年)には貨物列車がトンネル内で停止してしまい、煙に巻かれて乗務員の3人が死亡、9人が負傷する事故が起きた。

 後に機関助士として補機に乗務した敦賀市の桐畑民雄さん(86)は、「ここを通過する際はぬれた手ぬぐいを顔にあててしのいだ。恐怖と隣り合わせだった」と振り返る。

 柳ケ瀬トンネルを抜けて数キロ走ると、車道脇に小刀根ことねトンネルが現れる。歩いてトンネルに入ると、ひんやりとした空気に包まれた。

内壁一面にレンガが敷き詰められた小刀根トンネル(敦賀市で)
内壁一面にレンガが敷き詰められた小刀根トンネル(敦賀市で)

 完成は1881年で、現存するトンネルでは国内で最も古い。側壁から天井まで規則正しくびっしりとレンガが敷き詰められている。欠けたりはがれたりしたところはほとんどなく、とても140年も前に作られたものとは思えない。

 福井高専の武井幸久・名誉教授(70)は、「柳ケ瀬トンネルの建設に向けて、ここで技術を磨いた」と解説する。全長わずか56メートルだが、つるはしを振るい、人力だけで掘られた。国内で最も多く量産されたD51形蒸気機関車は、小刀根トンネルのサイズに合わせて作られたとも言われているという。

 この鉄路では、日本遺産に登録されたものだけで14本のトンネルが建設された。中心的な役割を担ったのは、英国に渡って鉄道技術を学び、後に鉄道庁長官を務めた井上勝。敦賀に常駐し、政府に雇われた外国人技師らとともに日本人に技術を指導した。

 柳ケ瀬トンネルの長浜側の出入り口にはかつて、伊藤博文の筆による「萬世永頼ばんせいえいらい」の石額が掲げられていた。「この鉄道が長く世の役に立つことを頼りにする」という意味だ。

 石額も日本遺産の構成文化財の一つ。所蔵する展示施設「長浜鉄道スクエア」(長浜市)の木村宏・支援学芸員(78)は、「鉄道敷設にかける明治政府の意気込みが伝わってくる」と語る。

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1992365 0 New門 2021/04/18 05:00:00 2021/04/18 05:00:00 2021/04/18 05:00:00 柳ヶ瀬トンネル(長浜市側から撮影)(滋賀県長浜市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210417-OYTAI50007-T.jpg?type=thumbnail

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